明治35年に竹島でアシカ捕獲記事確認、最古の記録か 領土編入前も経済活動 内閣官房

AI要約

明治35年に日本人が竹島に生息するニホンアシカを捕獲していたことを報じた新聞記事が見つかり、展示されている。

竹島はニホンアシカの繁殖地であり、明治時代に日本人がアシカ猟を行っていた歴史が明らかになった。

竹島の編入は日本人の経済活動が契機となり、領有権が再確認された。

明治35年に竹島でアシカ捕獲記事確認、最古の記録か 領土編入前も経済活動 内閣官房

明治35年に日本人が竹島(島根県隠岐の島町)に生息するニホンアシカを捕獲していたことを報じた新聞記事を内閣官房が確認し、解説とともに領土・主権展示館(東京都千代田区)で9月1日まで展示紹介されている。明治期に竹島のアシカ猟を伝える最も古い記録となる。竹島を巡っては、明治政府が38年1月に領土編入したが、その根拠を裏付ける上で、同島で日本人が経済活動していた事実を指し示す資料といえそうだ。

■明治36年が最も古い記録だったが

記事は「京都日出新聞」(京都新聞の前身)の35年3月3日付「海獱(アシカ)観客を驚かす」。同年2月に「リヤンコ島」(竹島の通称)で捕獲された2メートル超のニホンアシカが京都・新京極で供覧された際、二度にわたって逃げ出してハプニングになった様子を掲載している。

ニホンアシカの生態に詳しい鳥取大の井上貴央名誉教授が数年前に記事を見つけ、井上氏の依頼を受けた島根県竹島問題研究顧問の藤井賢二氏が国会図書館で同紙の記事を確認した。

竹島はかつてニホンアシカの繁殖地で、江戸時代に島根県米子の町人らが幕府公認でアシカ猟を行っていた。昭和前期にはアシカは生け捕りにして動物園やサーカスに販売されたが、記事は明治期に同じような実例があったことを示している。

これまで、明治時代の竹島でのアシカ猟の最も古い記録は「竹島貸下・海驢(アシカ)漁業」(島根県公文書センター所蔵)に記載された明治36年の猟の記録とされていた。

■竹島編入は日本人の経済活動が契機

同年に竹島でアシカ猟を始めた島根県隠岐の漁業者、中井養三郎は過当競争による乱獲を懸念し、明治政府に竹島の貸し下げ願いを提出。これを受けて38年1月、政府は島名を「竹島」にし、島根県所属とすることを閣議決定した。

外務省が発行する「なぜ日本の領土なのかがハッキリわかる! 竹島問題10のポイント」によると、日本は17世紀半ばには竹島の領有権を確立しており、この閣議決定で改めて領有の意思を明確に表明した形となる。

内閣官房領土・主権対策企画調整室は「韓国は、日本が侵略的な意図をもって韓国の領土であった竹島を奪ったなどと独自の主張をしている。しかし、韓国の領土であった事実はなく、同島の島根県への編入は同島での日本人による経済活動を契機としたものだ」とし、「今回の記事は、そのような経済活動がこれまでに見つかっていた記録よりさらに遡(さかのぼ)ることを示すものとして重要だ」と指摘している。