「あれは何か決まりがあるの?」 日本のカレーに夢中のスウェーデン人夫妻 気になったものとは

AI要約

六年前に日本を訪れたスウェーデン人夫婦がジャパニーズカレーに魅了され、定期的に日本のチェーン店でカレーを楽しむようになったエピソード。

カレーファンの熱さを感じさせるおふたりの食べ歩きエピソードと、東京名物の福神漬けがカレーのお供になる由来。

福神漬けがカレーと組み合わされるきっかけとして、幕末の香煎から始まり、日本郵船の船上での事故から生まれたハイカラカレーのエピソード。

「あれは何か決まりがあるの?」 日本のカレーに夢中のスウェーデン人夫妻 気になったものとは

 暑い夏でも食欲をそそるものといえば、みんな大好きカレーです。日本と同じようにカレーが国民食といわれているイギリスで日本の(チキン)カツカレーが定着するなど、ジャパニーズカレーはいまや世界で人気を博しているようです。訪日外国人観光客を日本各地へガイドする通訳案内士の、豊嶋操さんよる連載「ニッポン道中膝栗毛」。今回は、ジャパニーズカレー歴6年のスウェーデン人夫婦とのエピソードです。

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 スウェーデン人のご夫妻が、初めて日本を訪れたのは6年前。そのときに日本のカレーと出合い、大ファンになったそうです。それ以来、お仕事でイギリス・ロンドンへ行くたびに、日本のチェーン店でカレーを食べるのが大きな楽しみだといいます。

 さて、東京ご案内の当日の朝。ホテルのロビーでご主人がうれしそうに、こうお話ししてくださいました。

「一昨日はジンボウチョーでランチとディナー、続けてカレーを堪能したよ」

 カレーの聖地・神保町まで行ったのなら、さすがに今日は食べないだろうと思っていたら「いや、今日は最終日だから、もう一度お昼に食べてもいい?」と奥様。カレーファンの熱さは、外の暑さにも負けていません。そんなおふたりと午前中、のんびりと歩いていたときのこと。奥様からご質問がありました。

「そういえば、今まで食べた東京のお店ではカレーと一緒に細かいピクルスが一緒に出てきたけれど、あれは何か決まりがあるの? ああ、ロンドンのお店にもテーブルに置いてあった気がするわね……」

 なるほど、赤や茶色のあれですね。ならばと、その日のランチは上野の老舗洋食店に決まりです。

 カレーの付け合わせの赤や茶色の漬け物といったら、福神漬けです。この東京名物の漬け物がカレーのおともになるまでのいきさつをたどると、幕末までさかのぼります。

 東京・池之端に、山田屋という香煎屋がありました。当時、大名屋敷などでお茶は仏事用で、おめでたい席ではお茶の代わりに香煎湯という飲み物が出されていました。香煎湯は大麦や米の粉を炒ったものと、同じく炒ったシソ・山椒・ミカンの皮などの粉と混ぜて白湯を注いだものです。

 この香煎を売っていた山田屋(現在は漬け物・佃煮を販売する株式会社酒悦)の15代目が、大根・ナス・シイタケ・ナタ豆など、7種類の野菜を使ってしょうゆ漬けを創作。小石川に住む作家・梅亭金鶯(ばいていきんが)が、七福神メンバーのひとりで不忍池に祀られている辯天様(弁財天)にちなんでこれを福神漬けと命名したというのが最有力説です。

 売り出し文句にはほかにおかずがいらないとあり、何かと重宝されていたようです。また、明治時代に軍用食としても使われたことも一般に広まっていった理由のひとつ。

 時代は下って1902年。舞台は、日本郵船の欧州航路船の食堂に移ります。当時のカレーにはチャツネが添えられていましたが、あるとき品切れに。そこで代わりに添えられた福神漬けが、好評を得たのです。しだいに1等食堂の“カレーには福神漬けスタイル”が、広く受け入れられるようになりました。

 予期せぬチャツネ品切れ事件から生まれた、ハイカラカレーと新名物漬け物の組み合わせが、今日の一皿になったというわけです。