「自分はADHDかも…」生きづらさを抱える私が、心療内科を受診してわかったこと【経験談】

AI要約

2児の母親であるはなゆいさんが、自身のADHDと向き合いながら子育てや家族との暮らしに頑張る姿が描かれたマンガ「ただのぽんこつ母さんだと思っていたらADHDグレーでした。」。心療内科を受診して自身の特性について理解し、困りごとへの対策を考えることが重要だと気づく。

はなゆいさんは人付き合いが苦手ながらも、海外での生活や大学卒業後の経験を通じて活力を発揮し、自分の特性と環境の適合性に気づく。日本の文化や言語環境が、ADHD特性との相性を考えさせられる。

完璧主義に悩み続けていたはなゆいさんが、心療内科での受診をきっかけに、自分を責めずに自己肯定感を持つようになる。自分の困りごとが努力不足ではなく特性によるものであると知ることが大きな変化をもたらす。

「自分はADHDかも…」生きづらさを抱える私が、心療内科を受診してわかったこと【経験談】

大人になってから自分が発達障がいであることに気づく人は、珍しくなくなってきています。2児の母親であって、子育てや家族との暮らしに関するマンガを描いている、はなゆいさんは、忘れ物や勘違いなどの「うっかりミス」の連続に悩んでいました。あるとき「自分はADHDかもしれない」と心療内科を訪れ、自分の特性と向き合い、付き合い方を学んでいき「トリセツ」を作っていく――『ただのぽんこつ母さんだと思っていたらADHDグレーでした。』(はちみつコミックエッセイ)では、そんな体験談が描かれています。はなゆいさんに、ご自身の特性の捉え方の変化や、心療内科を受診して変わったことなどについて、伺いました。

■診断がどうかよりも、自分の困りごとへの対策

――元々、ご自身の特性について、どのように捉えていたのでしょうか。漫画なので、コミカルに描かれていますが、落ち込むことも多かったのでしょうか?

一つ一つは困難と言うのも憚られるほど些細なことです。例えば、誤字・脱字をする、メールの宛先間違い、待ち合わせ場所の勘違い、予約の日付間違いなど、それぞれ誰しもが過去に経験があることだと思うのです。

ただ、これらの頻度や、これらが時に連動して巻き起こる謎の現象(笑)もあって。全体としてみた場合のマグニチュードが他人とは違うのではないかと、内心思っていました。

客観的には、個々の事例を「点」でみると大した問題でないように見えたと思うんです。落ち込むことももちろんありましたが、周りの人たちに助けられながらやってきたと思っています。

――本書では、色々困り事があって、心療内科を受診することが描かれています。どんな点で心療内科を受診して良かったと感じていますか?受診前後の心境の変化についてもお伺いしたいです。

クリニックでの診察を通して、ADHDなのかどうか、白黒はっきりさせることよりも、困りごとについて、どう対策を取るかが重要だと理解するようになりました。クリニックへ行って、「ADHDではありませんよ」と言われたところで、自分のうっかりミス、勘違いなどによって、自分が感じている不便さは何も変わりません。なので、「結果がどうあれ、困りごとへの対策なんだ」と思うようになりました。この点で受診してよかったと思っています。

また、診断の過程で、「誤字・脱字が多くないですか?」「約束の場所や時間を勘違いしませんか?」「やっていることを邪魔されてカッとなりませんか?」「人の話に被せて話してしまいませんか?」などと聞かれることで、自分の個性だと思っていたことが「ADHDあるある」だということがわかりました。拍子抜けした気持ちとともに、個性が強いタイプと思っていた分、若干寂しさもあって、複雑な思いでしたね。 

――大学生時代に知識ゼロから麻雀を始め、店長代理を任されるほどに詳しくなった話や、大学卒業後に1年で120万円を貯め、日本から9年離れて生活、英語を話せない中でのレストランでアルバイト、アフリカの大学へ進学、日本人ゼロの現地企業に就職するなど、さらっと書かれている行動力のあるエピソードの濃さが印象的でした。本書では人付き合いが苦手なことが描かれてもいますが、ADHD特性を自覚してから苦手意識が出てきたのでしょうか?

たしかに人間関係へのアプローチについて、一見相反する特性を持っているところがあります。それは、短期的な関係なのか長期的になり得るか、その人間関係の時間軸と主体性がキーになっていると認識しています。

たとえばママ友のつながりは、幼稚園であれば3年間と長期の人間関係となりますし、子どもを通しての関係でもあるので、自分の意思だけで選択できるところでもないです。そうすると「変なこと言ってないだろうか」「KY(空気読めない人)になっていないだろうか」など、心配が心配を呼び、不安に駆られてしまいます。

海外では、言語の構造が日本語ほど複雑ではないと感じました。たとえば英語であれば、日本語のような尊敬語や謙譲語もなく、フラットな人間関係である一面があります。そういった場が、元来の思い切りの良さ、行動力をもった自分の特性に合っていたのだと思います。

日本は一般的に「ハイコンテクスト文化(言葉以外の表現が多いコミュニケーション)」だと言われています。「空気を読む」や「暗黙のルール」など、相手の立場を忖度する必要のある日本社会では、ADHD的な「知覚推理(あいまいな視覚情報から要点を把握する力)」の弱い私は苦労をしがちということだと分析しています。

ただ、こういったことも、後になって認識できただけです。当時は就職活動など、日本での生活にうまくフィットできそうにないと、直感で生きていた分、無意識的に避けたのだと思います(笑)。

■困りごとの原因が自分の努力不足ではないと知った

――「完璧主義」との向き合い方についてお伺いします。「自分のミスを許すこと」は大事なことではあるものの、自分を責めてしまいがちだと思います。どうやって自分を許せるようになったのでしょうか?

たとえばダブルブッキングや忘れ物など、人に迷惑をかけてしまったときは、特に落ち込んでしまいます。「なんて自分はダメなんだろう、最低だ、いなくなった方がいい、もう誰とも付き合わない方がいい」と自分を責める負のループに入ってしまうことが多かったです。

申し訳なさと、ふがいなさで自分を傷つけずにはいられないような気持ちでした。これをずっと続けていくと鬱っぽくなっていくんだと思います。一時期は「人と接するのが怖い」とさえ思うようになりました。

それを変えるきっかけになったのが、心療内科の受診です。自分のミスの原因は、私の特性によるものであり、自分の努力不足や、やる気のなさが原因ではないと知ることができました。

そこから自分に興味を持ち、ADHDのことや自分自身のことをよく知っていく中で、「私は抜けているところもあるけど、結構いいところもあるな」と思えて、自分を肯定的に受け入れられるようになったことが大きいと思います。

※後編に続きます

【プロフィール】 はなゆい

「笑う母には福来る」をテーマにクスッと笑えて時にウルっとする育児漫画をブログやSNSで投稿。家族の「笑い」と「感動」を漫画にしてます! (SNS総フォロワー数 約20万人)

インタビュー・文/雪代すみれ