孤独死は理想的な死に方である…和田秀樹「ベタベタとした人間関係をさっぱり捨てる」ことの意外な恩恵

AI要約

孤独に対する不安を解消する方法として、意識的に孤独な時間を楽しむことが大切だと和田秀樹氏は述べている。

和田氏は、孤独死はある意味で理想的な死に方とも言えると指摘し、自分のペースでひとりの時間を楽しむことの重要性を説いている。

また、誰かと濃密につき合いすぎることが、他人との新たな出会いや交流の機会を奪うことにつながると警鐘を鳴らしている。

孤独に対する不安を解消するには何をすればいいか。精神科医の和田秀樹さんは「孤独が怖いと感じている人も、いずれ孤独になるときが来るかもしれない。いまのうちから、1日の中に、誰ともつながっていない時間を意識的につくるなど、孤独な時間を楽しむことに、少しずつ慣れておくといい。ひとりの時間に親しむうちに、孤独に対する怖れが薄らいでくるはずだ」という――。

 ※本稿は、和田秀樹『65歳からのひとりを楽しむ「いい加減」おつき合い』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

■孤独死はある意味で理想的な死に方とも言える

 「孤独になりたくない」という声がよく聞かれる一方で、孤独が好きな人もいます。

 ひとりで映画を観たり、本を読んだりするのが好き。人と関わるのが煩わしくて、ひとりでいるのが一番ほっとする。そんな人は少なくないと感じます。

 脳の老化予防という観点では、人と会って話すことは大事なのですが、孤独が好きな人が、無理にでも友達づき合いをしたほうがいいなどとは思いません。いわゆる「孤独死」はしたくない、と言う人も多いのですが、私は孤独死が悲惨なものだとはまったく思っていません。

 一人暮らしで誰にも看取られず亡くなり、死後数日経って発見されるということは、死の直前まで元気だったと推測されます。

 いまは要介護認定を受けた高齢者であれば、ほぼ例外なく何らかの福祉サービスにつながっていて、日常的に介護ヘルパーなどの訪問を受けます。したがって、病気で寝たきりの高齢者などは、孤独死したくてもできません。

 そう考えれば孤独死は「ピンピンコロリ」、つまり直前まで比較的元気に生きて最期を迎える、理想的な死に方とも言えるのです。

■孤独に対する怖れが薄らいでくる方法

 ただ、「自分は孤独が好きだから、絶対に人とは交わらない」とか、反対に「自分は友達がいないとダメだから、人と交流しなければいけない」などと、決めつけることはしないほうがいいと思います。

 誰しも、ひとりが気楽だと思えるときもあれば、ふと人恋しくなることもあります。ずっとひとりでいる必要もなければ、つねに誰かとベタベタ一緒にいる必要もありません。寂しいと感じたときに会える相手がいれば、それでいいのではないでしょうか。

 孤独が怖いと感じている人も、いずれ孤独になるときが来るかもしれません。それなら、いまのうちから、孤独な時間を楽しむことに、少しずつ慣れておいてもいいかもしれません。

 1日の中に、誰ともつながっていない時間を、意識的につくってみてください。

 ひとりで街を歩き、公園でぼんやりしたり、書店に入り浸ったりしてみる。夜の10時以降はひとりの時間と決めて、自室で好きな映画のDVDや動画を観る。

 そんなふうに、ひとりの時間に親しむうちに、孤独に対する怖れが薄らいでくるはずです。

■誰かと濃密につき合っていると、他人が入り込む余地はなくなる

 いまの人間関係で、「離れるのが不安」と感じる相手、もしくはグループは存在しますか?

 その人、あるいはそのグループから離れたら、自分はひとりになってしまう。それが不安だから離れられないのだとしたら、少し考えてみてください。

 その人(たち)と一緒にいれば、不安がないかといえば、そんなこともないはずです。

 相手が離れていってしまったらどうしよう。嫌われたらどうしよう。自分だけ仲間はずれにされたらどうしよう。

 結局、いつもそんな不安がつきまとっているのではないでしょうか。それはとても不自由で、窮屈な状態でもあると思います。

 誰かとベタベタとくっついていると、そこに他人が入り込む余地はなくなります。

 四六時中くっついているカップルのことを、他人は遠巻きに眺めて、誰もわざわざその間に割り込もうとはしません。それと同じで、誰かと濃密につき合っていると、ほかの人は入り込めないものを感じて、あえてこちらと関わり合いを持とうとはしてこないものです。

 すると、おのずと人間関係は固定されてしまいます。新しい出会いもなく、自分の世界が広がることもありません。