沖縄メッセージ 昭和天皇は「平和主義者」だったか

AI要約

昭和天皇が、米国による沖縄の軍事占領を希望すると伝えていた「沖縄メッセージ」について、現代における当惑と象徴天皇制の複雑さが語られている。

沖縄メッセージが具体的に示す昭和天皇の行動やその影響力、それを受けた米国の政策決定について考察されている。

天皇の政治的関与やその周囲の対応について、当時の政治状況や理由を踏まえて解説されている。

沖縄メッセージ 昭和天皇は「平和主義者」だったか

 昭和天皇が、米国による沖縄の軍事占領を希望すると米側に伝えていた「沖縄メッセージ」(※1)は今も我々を当惑させます。志学館大学教授の茶谷誠一さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】

 ◇ ◇ ◇ ◇

 ――昭和天皇は戦前は大元帥でした。

 ◆私は1989年に昭和天皇が亡くなった時は高校生でした。当時の私が持っていた昭和天皇のイメージはやさしいおじいちゃん、平和的なイメージでした。戦前の実態を知ったときには驚きました。

 平和的な象徴天皇のイメージは現在も同じで、より強まっています。しかし、象徴天皇制の原点は、マッカーサーが日本の占領統治を成功させるために、天皇制を利用したことにあります。

 東京裁判でも天皇の戦争責任は問われず、東条英機のような一部の軍人に背負わせることによって清算しようとしました。国民のなかに、天皇と自分たちは東条ら一部の人にだまされていた、昭和天皇は平和主義者だったというイメージが作られます。私も含めて研究者はそうではない一面もあった史実を発信していますが、今もそのイメージは変わっていません。

 だから、沖縄メッセージのようなものが出てくると、驚いてしまうのです。

 ――沖縄メッセージは衝撃的です。

 ◆沖縄メッセージを伝えられた連合国軍総司令部(GHQ)外交局長のウィリアム・シーボルトは、象徴天皇は政治に表だって関与してはならないという立場でした。シーボルト自身はやりすぎだと考え、警戒感を持っていたと思います。

 しかし、シーボルトから報告を受けた米国務省では、対ソ封じ込め政策で知られるジョージ・ケナン(当時政策企画室長)が、沖縄メッセージを重要な提案と見なし、講和問題に関する政策の検討に利用されました。沖縄への米軍駐留を望む人たちからすれば、日本の天皇が沖縄に米兵を駐屯させてもよいと言っている、というのは貴重な情報です。昭和天皇の行動は、米国が政策を決めるうえで、影響を与えていました。

 ――伝えた方法も問題です。

 ◆沖縄メッセージをシーボルトに伝えた宮内府御用掛の寺崎英成はのちに更迭されます。

 初代宮内庁長官の田島道治の昭和天皇拝謁記(※2)で、更迭を最終的に判断したのは田島であることが分かりました。

 田島は天皇が表だって政治的な意見を発信すれば象徴天皇制の基盤が揺らぐと考えていました。田島からみれば、寺崎のような動きはあぶないことこのうえないのです。

 寺崎は、マッカーサーやシーボルトと会った内容を田島や吉田茂首相には言わないと日記に書いています。田島が就任前にあった、沖縄メッセージを知っていたかどうかは別としても、宮内庁長官のあずかりしらないところで、寺崎からGHQの要人らに、天皇の意向が伝達されるようなことは絶対に避けなければならないととらえたはずです。

 ――寺崎のやり方は国民から見ても困ったことです。

 ◆象徴天皇のもとで、天皇の政治顧問、情報役だった戦前の内大臣でもやらないようなことを寺崎はやっていました。日本政府のあたまごしに、米国に天皇の意思を直接、伝達しました。法的にも政治的にも、やってはいけないことです。

 しかし、昭和天皇にとってはこんなにありがたい存在はありません。まさに「忠臣」でした。寺崎更迭の際も昭和天皇は抵抗します。自分がマッカーサーと会見する時には例外的に、寺崎を通訳にしてくれないかとか、やめたのであれば別の情報をくれる人物がほしいなどと言います。寺崎のような行動をやってはいけないことだとは思っていません。むしろ国のことを考えた時にはやるべきだと考えています。

 立憲君主の枠さえも超える部分があります。その危うさを田島や吉田がみてとったから、寺崎を更迭したのだと思います。

 ――昭和天皇はなぜそこまでこだわったのでしょう。

 ◆昭和天皇は、共産主義が勢力を増した戦後の状況に強い危機感を持っていました。田島やその周辺がけげんに思うほどです。このままでは、東側陣営やその手先とみていた国内の共産主義分子によって日本が滅ぼされてしまうという認識です。だから米軍には残ってもらいたい、それを日米の主要な人に伝えたい、という考え方が根底にあります。

 象徴天皇として政治的な関与をしてはならないことはわかっていても、それを超えてでもやらざるをえないという危機感や使命感があったのでしょう。

 戦後、昭和天皇の存命中は、東西冷戦が続いていましたから、政治に関与しつづけようとする大きな理由になったと思います。

 ※1 昭和天皇が1947年に、米国が沖縄を軍事占領することが日米両国にとって望ましいと米国に伝えていたとされる問題。1979年に研究者の進藤栄一氏が米側資料で明らかにした。宮内庁が編修した昭和天皇実録にも言及がある。

 ※2 初代宮内庁長官の田島道治(1885~1968年)が49年から5年近い昭和天皇との対話を記録した書類。「昭和天皇拝謁記 初代宮内庁長官田島道治の記録 全7巻」(岩波書店)として刊行。