アメリカ軍兵士は7000人死亡…戦没者をめぐる「戦勝国と敗戦国の大きな差」

AI要約

日本兵1万人が消えた硫黄島で何が起きたのか、米軍の遺骨収容と行方不明者調査についての疑問が残る。

硫黄島での米軍の戦没者埋葬と再埋葬、そして行方不明者の消息調査について矛盾がある状況が明らかになる。

マイクロフィッシュに残された写真や遺骨収集の報道から、硫黄島の悲劇と戦後の対応の差について考察される。

アメリカ軍兵士は7000人死亡…戦没者をめぐる「戦勝国と敗戦国の大きな差」

なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が発売たちまち12刷と話題だ。

普段ノンフィクションを読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

ここでは、硫黄島に関する疑問・質問に答える。

日米が激突した硫黄島戦で、米軍側の死者数は約7000人に上りました。

米軍側は戦死した兵士の遺体を島内で埋葬。埋葬された遺体はその後、硫黄島を含む小笠原諸島の施政権が日本側に返還(1968年)されるのを前に、全て掘り起こされ、米国本土のアーリントン墓地などに再埋葬された、とされています。

米国側の遺骨収容については「完了済み」とする報道があります。

その一方で、米国防総省捕虜・行方不明者調査局(DPAA)が、依然として行方不明の米軍兵の消息調査を継続中という話を近年、厚労省関係者から聞きました。DPAAへの直接の取材ではないので正確な回答はできませんが、私が現時点で答えられるのは以上です。

ちなみに、私がこれまでに閲覧した米海兵隊の記録写真のマイクロフィッシュの中には、米軍側戦没者が硫黄島に埋葬された当時(1945年3月ごろ)の状況を伝えるものもありました。

米軍にとって「勝利」の象徴である摺鉢山と、星条旗と見られる大きな旗を背景に、兵士の墓標が整然と並んでる写真。こうした風景を見ると、戦没者を巡る戦勝国と敗戦国の対応の差を改めて実感させられます。

つづく「「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」…硫黄島に初上陸して目撃した「首なし兵士」の衝撃」では、硫黄島上陸翌日に始まった遺骨収集を衝撃レポートする。