読んでいるそばから忘れる哲学書! 現代の古典をどう読むか?

AI要約

『理性の呼び声』という古典の邦訳が登場し、荒畑靖宏氏と古田徹也氏がその読み方について語る。本書は非常に難解で、一度読んだだけでは内容を忘れやすいが、宝探しのように読み進めることを提案している。

荒畑氏が「完全な思想(a complete thought)」という言葉に注目し、その考え方について述べる。読者は自分にとって価値のある部分を見つけることで、本書から得られる糧を見出すことができる。

古田氏は読破を求めないことを提案し、作品に興味を持った部分から読み始めたり、自分の興味を持つ作品を中心に読んだりすることを勧めている。

読んでいるそばから忘れる哲学書! 現代の古典をどう読むか?

長いあいだ翻訳を絶望視されてきた古典が、ついに邦訳されました。著者のカヴェルは、ウィトゲンシュタインの後継者であり、アメリカ哲学の巨人です。現代の古典といえるこの難解な哲学書『理性の呼び声』は、どうしたら読めるのか。

前記事に引き続き、荒畑靖宏氏と古田徹也氏に、本書の読み方について語っていただきます(本記事は、2024年7月3日/ジュンク堂書店池袋本店で開催されたイベントより一部編集のうえ再構成しています)。

荒畑:(『理性の呼び声』の)読者の皆さんはたぶんすごくプレッシャーを感じていると思うんですけど、まず本書は、読んでいるそばから忘れていくんですよね。読みながら、一つの物語を頭の中で紡ぎ出そうとしても、これは絶対無理です。もちろんカヴェル本人もたぶんできてない、結構忘れていると思いますし。

古田:恐れていたことでもあるけれど、これを買ったり借りたりして「読み始めたんだけど、もうギブアップ」っていう感想が多くて。当然ですよね、本は最初のページから読むもので、読み通すべきものだっていう「読書の規範」みたいなものが、世間にはなんとなく存在するので。

荒畑:序論から3ページ読んだだけで、この3ページが1つの話になっているとはとても思えないんですよね。なので、私の提案としては、私自身もそうですし、古田さんもたぶん、おそらく世界中でこの本を読む人はみんなそうしていると思うんですけど、宝探しのように読んでもらえばいいと思うんです。私にとって宝石のような言葉があるので、訳者解題の973ページ、本文の250ページを読みますね。

「私たちが文と呼ぶ言葉の羅列の中で、私が必要とする言葉たちは私に歩み寄って来る。言葉たちは私のために、」これはfor meなので私に代わってという意味でもあります。「話す。私は言葉たちに私に対する支配権を与える。」で、極めつけは次ですね、「たぶんこれが「文」の正体である。あるいはむしろ、「完全な思想」の正体である」と。

さらっと言うんですけど、「完全な思想(a complete thought)」っていうのはいわば言語哲学の中ではよく言われる、文とは区別される思想というやつ。これはフレーゲの言語哲学のキーワードです。これがなんで私にとってすごいのか、ドキッとしたのかというのは説明しませんけども、人それぞれに皆さんにもこういうものがあると思うんです。こういうものを探して、で、そこに至る、あるいはそこから始まる思想をもう紡いでいっていただければ、そういった宝箱みたいな本として読んでいただけるといいかなと。実際の話ほんとにそういう言葉に溢れている本だと思います。

なので、決して読み通そうなんて思わない……、あ、ごめんなさい、読み通してはいただきたい、読み通してはいただきたいですが(笑)、普通の意味で読み通すというのはまず無理な話です。皆さんがそれぞれの中で、「あ、このへんの話すごい素敵、面白い」と思ったらもうそれだけでも結構大きな価値がある。実際そうやってこの本は我々にとって糧になっていると思う。

古田:そうですね。どこか、たとえば気になる作品から始めてもよくて、一番最後のほうで『オセロー』が扱われていて。索引も非常に充実しているので、そこから自分がよく読んできた作品を巡っていてもいいと思う。途中から始めてもいいし、そこで一旦読み終わってもいい。読破というのはあまり求めないほうがいい。