岸田首相、突然の「不出馬表明」は、やっぱり「麻生太郎」が仕掛けていた…!ここにきて浮上する「次期総裁」意外な政治家の名前

AI要約

8月13日、パリオリンピックでメダルを獲得した日本選手団66人が、首相官邸を訪れた際、柔道の斉藤立選手が岸田首相にサインを求め、断られた一幕が、自民党のある議員との間で話題になった。

翌日の14日に現実のものとなる。岸田首相による自民党総裁選挙への不出馬会見だ。

考えてみれば、その前兆は、パリオリンピックが始まった頃からあった。岸田首相に近い議員から「お盆明けが要注意」との一報がもたらされていたからである。

岸田首相、突然の「不出馬表明」は、やっぱり「麻生太郎」が仕掛けていた…!ここにきて浮上する「次期総裁」意外な政治家の名前

8月13日、パリオリンピックでメダルを獲得した日本選手団66人が、首相官邸を訪れた際、柔道の斉藤立選手が岸田首相にサインを求め、断られた一幕が、自民党のある議員との間で話題になった。

「よく日本のメジャーリーガーが、いつ他の球団に移籍するかわからないから、サインするとき、球団名を書かないって言うよね。岸田さんも、もうすぐ総理総裁じゃなくなる可能性が高いから、『内閣総理大臣岸田文雄』って書けなかったんじゃないの」

この言葉は、翌日の14日に現実のものとなる。岸田首相による自民党総裁選挙への不出馬会見だ。

考えてみれば、その前兆は、パリオリンピックが始まった頃からあった。岸田首相に近い議員から「お盆明けが要注意」との一報がもたらされていたからである。

「精度は高い」と感じた筆者は、他のオンライン記事に、「お盆が過ぎた後、不出馬を表明する可能性は少なくない」と書いた。

当の岸田首相は、8月2日、自民党本部で、総裁選挙の鍵を握る人物の1人、麻生太郎副総裁と会談している。岸田首相と麻生氏のサシでの会談は、6月18日のホテルオークラ、同25日の帝国ホテル、そして7月25日の党本部に続くものだ。

6月の2度にわたる会食では、岸田首相が麻生氏の支持を求めたのに対し、麻生氏は色よい返事をしなかったとされている。

7月25日の会談は、岸田首相が今一度、麻生氏の支持を求める会談、そして8月2日の会談は、麻生氏が岸田首相に引導を渡す、もしくは岸田首相が「不出馬」を伝える会談となった可能性が高い。

では、なぜ岸田首相が、「お盆明け」ではなく、8月14日という日に不出馬会見をしたのかだが、1つは、8月20日に自民党総裁選挙管理委員会の会合で選挙日程が決まる前に、自らの判断で身を退く考えを示したかったこと、もう1つは、その夜、麻生氏と茂木敏充幹事長の会食が予定されていたためと推察する。

選挙日程が決まり、総裁選挙に名乗りを上げる有力者が出てくれば、「岸田さんでは衆議院選挙や参議院選挙は戦えない」と引きずり降ろされる可能性がある。

思い返せば、2021年10月、「第100代内閣総理大臣」に就任した10日後に衆議院を解散し、今年1月には、「政治とカネ」の問題を受けて、それまで率いてきた岸田派の解散を他派閥に先がけて表明した岸田首相である。

自民党総裁としての最後の決断も、引きずり降ろされる前に先手を打つ、岸田流のサプライズだったと言っていい。

実際、自民党内には、総裁選挙で支持を表明するため、岸田首相とアポイントを取っていた議員もいる。議員からすれば、何の前触れもなく、主役が舞台から誰にも相談することなく降りてしまったことになる。

また、麻生―茂木会談の前に身を退く記者会見を開いたのは、政権発足以降、「三頭体制」を組みながら、最後の最後まで首を縦に振らなかった麻生氏、そして自民党を揺るがせた「政治とカネ」の問題では汗をかこうとせず、総裁である自分を支えるどころか、「ポスト岸田」をも狙おうとする茂木氏に「政治家の意地」を見せたかったから、と筆者は見る。