沖国大ヘリ墜落事故から20年 元宜野湾市の幹部職員の資料から見える緊迫した現場と日米地位協定の不条理

AI要約

2024年8月13日にアメリカ軍のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落し、20年後に事故の対応が公表された。

当時の市の幹部がアメリカ軍のヘリ墜落現場に駆け付け、緊迫した状況と日米地位協定の問題が浮かび上がった。

事故の発生時の対応、市長の行動報告中に第一報が入った事など、当時の様子が詳細に記録されている。

沖国大ヘリ墜落事故から20年 元宜野湾市の幹部職員の資料から見える緊迫した現場と日米地位協定の不条理

普天間基地に隣接する沖縄国際大学に、アメリカ軍のヘリが墜落して2024年8月13日で20年となる。

このほど、当時の市の幹部が事故の発生時にどのような対応を取ったのか時系列にまとめた資料を公表した。当時の緊迫した現場とともに、日米地位協定の不条理も浮かび上がった。

宜野湾市の元基地政策部長・比嘉博さんは、沖縄国際大学にアメリカ軍のCH53ヘリコプターが墜落する事故が発生した現場に基地担当部署の責任者として現場に駆け付けた。

比嘉博さん:

市長車が着いたのが時間的には午後2時時50分くらい 鎮火したのが午後3時10分前後

大学にアメリカ軍ヘリが墜落するという前代未聞の事故。時々刻々と代わる当時の現場の状況を、比嘉さんは細かくまとめていた。

比嘉博さん:

資料として残そうと思って(事故から)20年後なので、当時の基地政策部長の責任で時間も含めて出そうと

墜落事故が起きた日、宜野湾市は、当時の伊波洋一市長(現・参議)の訪米行動に関する市民報告会を開いていた。

比嘉博さん:

訪米の報告会これが8月13日午後2時から。(報告会の途中で)市の職員から市長の方に耳打ちがあって、沖国大にヘリが落ちたみたいだぞという話が飛び込んで来た

皮肉にも事故の第一報は、普天間基地の返還に向けて市の活動を説明している最中に入って来た。

事故の発生から約30分後に市長と共に比嘉さんは大学に到着した。現場では、宜野湾市消防と米軍の消防による消火活動が行われていた。

比嘉博さん:

市長も私も1号館の事務所内には入れました。もう悲惨な状況でしたね。大学の方々に被害が出なかったというのは本当にあれだけの状況からすると考えられないくらいの事故でした

アメリカ軍の事故報告書では整備不良によりその結果、機体が制御を失って墜落したとしている。

比嘉博さん:

午後3時過ぎぐらいから米軍の規制が始まって、最初に消防も出されて当然行政の我々も出されて。挙句の果てに県警まで排除される流れを見て、現場では市長以下それから大学の学長たちみんな米軍に対して抗議するわけです