ハンセン病元患者と家族への差別・偏見 家族への保証制度創設も「病歴を打ち明けるには勇気と覚悟がいる」

AI要約

ハンセン病元患者や家族に対する差別や偏見が現在も続いており、補償制度の利用者は少ない。

国が定めた追悼の日で、武見厚生労働大臣が現在も偏見や差別が残っている状況を指摘。2001年に隔離政策が誤りとされ、差別は根強く存続。

元患者の証言からも、差別が隠れて残る現実が窺える。偏見や差別への意識改革が喫緊の課題。

ハンセン病元患者と家族への差別・偏見 家族への保証制度創設も「病歴を打ち明けるには勇気と覚悟がいる」

今も続くハンセン病元患者や家族に対する、差別や偏見。

国は責任を認め「家族への補償制度」を創設しましたが、補償を受ける人は少ないままです。

時間だけが経過する現状を変えるためには、何が必要なのでしょうか。

国は、6月22日を「国の政策で強制的に隔離され差別に苦しんで亡くなったハンセン病元患者を追悼する日」と定め、毎年、式典を行っています。

そんな慰霊の日に武見厚生労働大臣が言及したのは…。

【武見敬三厚労相】「現在もハンセン病元患者や、家族に対する偏見や差別があると思うと回答した方が約4割であるなど、偏見・差別が今も残っている状況がうかがえる結果が得られました」

2023年、国が初めて大規模な調査を行い、明らかになったのは、今なお差別が続いているという厳しい現実でした。

ハンセン病は「らい菌」による感染症です。

国は、1931年に、全ての患者を一生隔離する法律「癩(らい)予防法」を作り、患者を次々と療養所に閉じ込めました。

戦後、治療薬ができて、治る病気となったにもかかわらず、法律だけが放置され…。

隔離政策が誤りだと断罪されたのは、2001年になってからでした。

その間、人々にハンセン病に対する差別心が植えつけられ、矛先は、すでに回復した元患者や家族に向けられました。

8月7日に行われた兵庫・尼崎市の講演会で、元患者は次のように話しました。

【ハンセン病元患者 岡山育夫さん(仮名)】「法律がなくなっても、結局まだ人の心の中に、偏見・差別はまだ生きています」

大阪府に住む岡山育夫さん(81歳・仮名)は、子どもの頃ハンセン病にかかり、療養所に収容されました。

手足のまひなどの後遺症もなく社会復帰しましたが、就職や結婚など、人生の節目で、差別に直面しました。

【ハンセン病元患者 岡山育夫さん(仮名)】「(結婚相手の家族が)金輪際、今までの話はなかったことにしてくれと。金輪際、娘に会わないでくれと。これはやはり興信所で調べられたんだなと。うちの家は調べられたらはガラス張りです。そして私の素性は全て分かってしまい、私はこの時初めてハンセン病の偏見・差別があることを思い知らされました」

その後、元患者の女性と結婚して、子どもに恵まれましたが、子どもに過去のことは、一切話さず、ひた隠しにして生きてきました。

そんな中で直面したのは、息子の結婚です。

【ハンセン病元患者 岡山育夫さん(仮名)】「調べに来られれば私の素性が分かり、長男の結婚が破談になる可能性も大です。商品券の一つも持って(近所の)10軒の家をまわろうと思いました。『この度はうちの長男が結婚することになります。どうかよろしくお願いします』と、これだけ言えば相手に十分伝わると。『興信所の方が聞きに来られたら、どうかいいようにお答えください』と(いう意味で)」