「京都五山送り火」、実は意外なご利益も!?

AI要約

京都五山送り火は、毎年8月16日に行われる風習で、お精霊さんをあの世へ送る行事である。

送り火の起源は古く、江戸時代前期に存在していたとされる。

五山の火を見るためのスポットもあり、特に初心者向けのハイキングスポットとしても人気がある。

「京都五山送り火」、実は意外なご利益も!?

 体温超えの40℃に迫る猛暑が連日続く京都。例年、旧盆を過ぎるころから、日に日に秋の気配が漂い始めます。今回は晩夏の夜空を照らす風物詩「京都五山送り火」をご案内します。その由緒をひもとき、京都に身を置いて、御利益も授かりましょう。(らくたび、ダイヤモンド・ライフ編集部)

● 送り火はご先祖様へのレクイエム

 毎年8月16日の夜に行われる「京都五山送り火」。焼き物や焼き菓子のごとく「大文字焼き」と呼ばれてしまうこともありますが、正しい名称は「京都五山送り火」です。

 7月の新盆が普通の東京とは異なり、京都では 8月13~16日が「お盆」。親しみを込めて「お精霊(おしょらい)さん」と呼んでいるご先祖様を、あの世から懐かしいこの世にお迎えして、供養します。お迎えの行事については、前回ご紹介した六道珍皇寺「六道まいり」や千本ゑんま堂「お精霊迎え」などが知られています。

 「京都五山送り火」は、自宅でくつろいでいただいたお精霊さんを、お盆最終日の16日夜に、再びあの世へと送る風習です。お精霊さんが無事に帰ることができるようにと願いを込め、五山に火を灯すことによって、あの世へ続く夜道を明るく照らすのです。

 五山(字形)とは、東山連峰の主峰である如意ヶ嶽(「大」)、松ケ崎西山(「妙」)と東山(「法」)、西賀茂の船山(船形)、衣笠大北山の大文字山(左大文字)、嵯峨鳥居本の曼荼羅山(鳥居形)で、妙と法は一つに数えられるので、計五つの山となります。午後8時、如意ヶ嶽の「大」に始まり、東から西へ順に火がともされていきます。

● かつては他にもあった送り火の字形

 「京都五山送り火」の起源については、平安時代に空海が始めたとか、室町時代に第8代将軍足利義政が子どもを供養するために始めたなど諸説が論じられていますが、現存する資料によると、江戸時代前期の1600年代には確かに存在していたようです。

 明治初期までは、「い」(市原野)、「一」(鳴滝)、「竹の先に鈴」(西山)、「蛇」(北嵯峨)、「長刀」(観音寺村)などの文字もあったとか。かつてはそれぞれの山で行うお盆の行事でしたが、60余年前に伝統を守り継ぐ保存会の連合会ができて以降、東から西へ順に点火していく現在のスタイルとなりました。

 では、なぜ現在の字形が残ったのか。「大」という字を分解すると「一」と「人」となるため、これは「人」を表しているとか、空海が「護摩木」を大の字でかたどったからといった具合に、五山それぞれの由来にも諸説あります。一人の人間(大)が、経をたたえて(妙法)、神社をお参りして(鳥居形)、船に乗って(船形)、そして天界に向かう人の一生を表現している、という説もあるようです。

 すべての山を見渡すことができる場所もあることはありますが、いずれの山も小さくしか見えませんので、お目当ての山を選んで、それに合わせた鑑賞スポットで体験するのがおすすめです。日が暮れる前や前日までに、山の様子や参拝などができる場合もあります。送り火のシンボルである「大文字山」は、軽装でもOKの初心者向けハイキングスポットとしても人気があります。片道約30分で着く「大」の火床では、京都市街を一望できる絶景があなたを待っています。ちなみに、送り火当日は一般の人が近づくことはできませんので、登る場合は前日までもしくは翌日以降にいたしましょう。

 詳細については、京都市観光協会による京都観光オフィシャルサイト「京都観光Navi」をご覧ください。「京のまちを彩る、四大行事」として、三大祭り(葵祭、祇園祭、時代祭)と並んで紹介されています。