日本遺産の「大山こま」存続の危機 後継者不足で職人最後の1人に

AI要約

江戸時代に大山詣りの土産品として人気を集め、神奈川県伊勢原市の伝統工芸品「大山こま」が存続の危機に直面している。

地元の取り組みやイベントを通じて大山こま文化を次世代に継承しようという模索が行われている。

職人の後継者不足や原材料の高騰などで制作に課題がありつつも、地元の人々が工夫を凝らして存続を図っている。

日本遺産の「大山こま」存続の危機 後継者不足で職人最後の1人に

 江戸時代に大山詣(まい)りの土産品として人気を集め、「日本遺産」の構成文化財でもある神奈川県伊勢原市の伝統工芸品「大山こま」が、存続の危機を迎えている。制作する職人が後継者不足で減り続け、今春からわずか1人となった。地元では、大切な文化をなんとか次世代に継承しようと、模索が続いている。

 「ジン・ミョー・トーリー・ノ・ワイ」の掛け声で、子どもたちが一斉に「こま」を放って回す。6月29日、市内の高部屋小学校で「第2回大山こまフェスティバル」が開かれた。回っている時間を競う「寿命こま」と、的を狙って点数を競う「的こま」に、地域の小中学生ら約100人が参加した。大山小5年の立花侃(かん)さん(10)は「楽しい」と笑顔を見せた。

 実行委員長の錦織勝さん(59)は「私も子どものころから遊んできた。伊勢原にとって大山こまは大切な存在なので、なんとか残して、広く知ってもらいたい」と語る。

 大会は昨年、地元で危機感を抱いた人たちが、「つくる、まなぶ、あそぶ」の観点から、地域活動として大山こまをもり立てようと、学校や自治会、市教育委員会などを巻き込み、実行委員会をつくってスタートした。

 今回は地元以外からの参加も認め、市を通じて文化庁の補助金も受けた。実行委員の飯島大輔さん(51)は「作り手にも子どもたちが楽しく遊ぶ姿を見てもらいたかった」という。

 会場には、唯一の職人となった金子吉延さん(74)の姿があった。大山阿夫利神社へとつながる「こま参道」に店を構える「金子屋」の8代目だ。金子さんは、今後について「厳しい」と繰り返した。

 職人を増やすには、生活が成り立たなければならないが、数年の修業を経なければ売り物になるこまをつくることはできない。さらに昨今の物価や輸送費の高騰で、原材料のミズキなどの値が3倍になり、今年4月に5年ぶりにこまを値上げせざるをえなかった。こまを回す麻ひもも入手が難しくなっているという。

 しかし、あきらめたわけではない。会場に来ていた市教委や地元青年会議所の人たちとも、どうやって職人を増やすかを話し合い、まずは木工の基礎を覚えるために旋盤を使える環境をつくってはどうか、などと提案していた。

 市は2013年、大山こまを頭にのせた公式イメージキャラクター「クルリン」を生み、イベントなどでPRしてきた。しかし、職人の後継育成については苦慮している。市教委教育総務課の担当者は「商工観光課など関係部署と連携しながら、大山こまの魅力を広く伝え、興味を持ってもらう努力を続ける」と話している。(中島秀憲)