保護司殺人に「あり得ない」と25年活動した女性 担い手不足の現実と「信じてあげる役割」の尊さ

AI要約

保護司が殺害されるショッキングな事件が発生。元犯罪者の更生支援を行ってきた女性保護司の25年間の経験を振り返る。

保護司制度の概要や仕事の内容、トラブルや困難と向き合う保護司の姿勢について紹介。

元服役者や少年ユースとの接点を持つ保護司の生きがいや成果、再犯を避けるための支援事例を取り上げる。

保護司殺人に「あり得ない」と25年活動した女性 担い手不足の現実と「信じてあげる役割」の尊さ

 過ちを犯した人の更生に寄り添う保護司が殺害されるというショッキングな事件が起きた。自らが担当していた保護観察中の男性が逮捕されている。一般にはあまり馴染のない保護司の仕事。元犯罪者と相対で付き合うからには危険も伴うのでは、と思った人もいることだろう。保護司を約25年間務め、百人を超える元服役囚や少年と向き合ってきた女性から話を聞いた。事件に心を痛めつつ、「それでも保護司の仕事はかけがえのない私の人生そのもの」と語った。

 関東地方在住の女性Aさん。数年前に保護司を75歳の定年で引退した。約25年間、会社を経営する傍ら保護司としても活動してきた。刑務所や少年院を出てきたばかりの人、執行猶予中の元被告人らの更生の手助けをしてきたという。

 今回の事件で容疑者の男(35)は今年5月、飲食店を経営する大津市内の保護司の男性(60)の自宅で、この保護司を刃物で刺殺したとして逮捕された。容疑者は5年前、同市内のコンビニで強盗事件を起こし、懲役3年・保護観察付きの執行猶予5年の判決を受け、保護観察中だった。

 コンビニエンスストア強盗で執行猶予判決を受け、保護観察期間があと1か月で終わるところだった。Aさんもこうしたタイプの男性を数えきれないほど支援してきている。

「想像もできなかった事件。あり得ないこと。とても胸が痛く、なぜこんなことが起きてしまったのかとショックです」

 保護司は、国が1950年に保護司法で定めた制度で、犯罪歴のある人たちの更生を目的とする。法務省によると、全国かに保護司は約4万7千人いる。身分は国家公務員で、1人で複数を担当する。ボランティアで、多くは保護司経験者からの推薦や、町内会長など地元からの依頼で就任しているが、担い手は不足しているという。刑務所の仮釈放者や少年院を出た非行少年などと月2回ほど面会し、生活や就労などについて助言や指導をする。面会でヒアリングした状況を月に一度、報告書として管轄の保護観察所にあげる。

 Aさんは住んでいる地域の保護司会に頼まれて引き受けることになった。多いときには一度に11人を担当したという。

 

■危険はないのか

 トラブルも時々はあるようだ。

 別のある保護司は、「少年と口論になり、殴られそうになったことがある」と打ち明ける。自宅で少年を面会中のことだった。少年は遵守事項を全く守らず、夜遊びばかり繰り返していた。生活態度を改めるよう指摘したところ、少年は納得せず、口答えをした挙句に保護司をじっと睨みつけ、今にも殴りかかりそうな雰囲気になったという。

 総務省が2019年に公開したアンケート調査によると、一人で面接することに対する不安や負担について、なんらかの不安を感じていると答えた人は26.1%だった。一方、感じていないという回答は「あまり」「ほとんど」を合わせて71.1%にのぼった。

 Aさんは「自分は怖いと思ったことはない」と話す。

「過去に色々あった人たちだけど、人として対等に向き合うように意識すると、不安はそこまで感じません」

 Aさんに限らず、不安に思っていない保護司は多いようだ。対象者と面会する場所について、何かが起きた時にも安全な、公民館などの公共施設があるにもかかわらず、73.4%の保護司が自宅と答えていた。Aさんももっぱら自宅だった。

 

■辛いのは再犯の報

 大変なこともある。もっとも辛いのは少年たちの再犯だ。警察から夜中に呼び出されることもしばしばある。

 暴走族に所属する保護観察中の少年が暴力事件を起こした。アルバイトに精を出し更生の兆しが見て取れてきた矢先だった。しかしこれまでに何度も暴力事件を起こしており、少年は少年院送致を覚悟していたという。審判の日。家庭裁判所に呼ばれていなかったが、Aさんは「どうしても陳述したいことがある」と駆け付けた。裁判所内には入れなかったが、調査官と電話で話すことができた。少年が保護観察中に地域のボランティア活動に積極参加していることなどを話し、少年院に入れる必要がないと訴えた。審判の結果、少年院送致とはならず、少年には再び保護観察に加え、1週間のボランティア活動の審判が下された。

「少年の場合は大人、成人の場合は世間に対して不信感を抱いている。彼らを信じて行動しなければ、どんどん孤立してしまう。彼らは崖っぷちにいるから。あと一歩でどん底に落ちてしまうから。どんな状況でも、彼らを信じてあげることが保護司の役割なの」

 

■思わぬ電話が生きがい

 定年まで長く続けてこられたのは、生きがいを感じてきたからだという。

 服役囚や少年たちとの接点は出所後だけではない。少年院では保護者のほか保護司のみ、手紙での連絡が許されており、在院時から連絡を取り合うことがある。

 保護観察期間が終わった後も近況をしらせてくる元受刑者は意外に多い。Aさんの場合、今も電話、メールでのやりとりがあるという。

 また、保護観察は原則、保護観察者が住んでいる居住地の地区を担当している保護司が担当するため、道中で出会うこともしばしばある。

「元気そうな姿を近所のスーパーで見かけると嬉しい。ああ、ちゃんと頑張っているんだなって」

 出所後、建設現場での下積みを経て事業を起こした人もい る。数十人ほどの従業員を抱える建設会社の社長だ。

 その社長から思いがけぬ電話を受けたことがある。

「出所してきた人が就職に困ったら、うちで引き受けるよ」。

 Aさんが保護司をやってきて、最もうれしい思いをした瞬間だったという。

 

■非行少年「保護司、殴りたいこともあった」

 お世話になる側は保護司のことをどう受け止めているのか。

 17歳で事件を起こし、少年院に入り、仮退院後に保護司との支援を20歳になるまで受けたという30代の男性が取材に応じた。

 男性は暴行や窃盗などで3回逮捕され、最終的に1~2年の長期少年院への送致となった。この間、少年には3人の保護司がついた。

「何もしない保護司もいた。ただ淡々と話を聞くだけ。地元では”当たり”と言われて、ファミレスでご飯を奢ってくれるだけのおじいちゃんでした」と打ち明ける。うるさく説教される面倒くささがないことが「当たり」なのだという。

 少年院からの出院後、少年の担当となった保護司はこれまでと違った。人として間違っている考えなどはとことん指摘されるものの、あれもこれもと全否定は決してせず、常に味方でいてくれたという。頼りにしていた一方で、不安定な気持ちのぶつけ先でもあった。

「当時の私は、親も含め全てが敵だと思っていました。親とはたびたびけんかになり、その態度を保護司さんに注意されていました。カッとなって保護司さんを殴ったろかなと思ったこともありますよ。少年院で暗記させられた出院後の遵守事項を思い出して踏みとどまりましたけど」

 そして今はこう考えている。

「あのとき、本当に親身になってくれる保護司さんと出会えて、私は今を送れています。『これからは自分次第。自分を大切にね』と口酸っぱく言ってくれた。どんなことがあっても、塀の中にはもう二度と行かないように頑張ってみようと思う」