日本の雇用が壊滅する「最悪のシナリオ」…格差拡大の「戦犯」となった「小泉構造改革」の取り返しのつかない罪

AI要約

小泉進次郎元環境相が自民党総裁選で「解雇の規制緩和」を提唱し、これが争点となっている。この政策により雇用の流動化が進み、リスキリング(学び直し)が重要視されるようになる。

1997年当時の雇用状況や超就職氷河期を経験した斉藤武志さんの例を挙げながら、規制緩和が雇用環境に及ぼす影響を示唆。非正規雇用が増える中で労働者の厳しい現状が描かれる。

小泉家の政策としての「小泉構造改革」が紹介され、職場環境や労働市場が変容した背景が明らかとなる。

日本の雇用が壊滅する「最悪のシナリオ」…格差拡大の「戦犯」となった「小泉構造改革」の取り返しのつかない罪

自民党総裁選の争点となっている「解雇の規制緩和」。前回記事(「小泉進次郎総理」誕生で「クビ切り」が簡単に…平均年収でも「絶望的な生活」から抜け出せない悲惨な未来)のように、9人の総裁選候補者の意見は分かれている。口火を切った小泉進次郎元環境相は、四半世紀前に「小泉構造改革」を断行した小泉純一郎元首相を父にもつ世襲議員だ。現在の雇用崩壊、格差拡大の“戦犯”となったと言える「小泉構造改革」。その雇用の規制緩和を振り返る。

「クビを切りやすくして、リスキリング?何を言っているのか分からないですね。学び直しなんて余裕はありません」

斉藤武志さん(仮名、50歳)は、憤りを隠せない。それというのも、小泉進次郎元環境相が自民党総裁選への立候補を表明した際に言及した「解雇の規制緩和」が総裁選の争点の一つとなっているからだ。企業が解雇しやすくなることで雇用が流動化し、国はリスキリング(学び直し)を支援してニーズのある質の高い雇用を目指せばいいという。

武志さんが大学を卒業した1997年は山一證券が破たんして金融不安が起こった。“超”がつくほどの就職氷河期の最中、やっとのことで入社した中堅小売会社では店長になった。トップクラスの営業成績を維持していたが、ほぼ休みなしで長時間労働の毎日に30歳を目前に心身を壊し退職した。

しばらくリハビリのつもりで派遣社員として働いて食いつないだが、新卒採用でも就職が厳しいなかで正社員の職が見つからない。あったとしても“ブラック企業”で、サービス残業は当たり前。上司の気分ひとつで「明日から来なくていい」という、労働基準法など無視した無法地帯。武志さんは、うつ病になって退職。その後は非正規雇用で職を転々とせざるを得ないでいる。

進次郎氏は「聖域なき規制改革」を提唱。父・小泉純一郎元首相は「聖域なき構造改革」、「小泉構造改革」といって、道路公団の民営化、国と地方の三位一体の改革、郵政三事業の民営化を行った。この小泉構造改革は「痛みを伴う改革」として、日本経済や政治が経営者寄りになって、非正規雇用が増える転換期になったといえよう。

2001年に小泉純一郎内閣が発足し、2003年に「規制改革推進3か年計画」を閣議決定。ここで「解雇の金銭解決」の検討が盛り込まれた。翌2004年に規制改革・民間開放推進3か年計画がスタート。

この頃、長引く不況から2000年の大卒就職率は統計上初めて6割を下回る55.8%をつけ、2003年に過去最低の55.1%をつけるという超就職氷河期に陥っていた。企業は新卒採用を絞り込み、非正規雇用を増やすことで人件費を削減して利益を確保した。