「悪夢再び」 小泉進次郎の規制緩和は「トラック業界」を再び破壊するのか? 親子二代にわたる労働環境悪化の辛らつ現実

AI要約

小泉進次郎氏が次期総理候補として名乗りを上げた。彼のスローガンは「聖域なき改革」で、父・純一郎氏の政治手法を連想させる。

純一郎氏の規制緩和政策がトラック業界に与えた影響とその負の側面について懸念が広がっている。

小泉政権下での規制緩和により、トラック業界は過当競争や労働条件の悪化、事故率の増加といった具体的な問題に直面した。

トラック業界には1990年代から始まった規制緩和が進み、小泉政権下でさらに加速した。新規参入事業者が急増し、過当競争が引き起こされた。労働条件の悪化や安全問題も深刻化した。

小泉政権の規制緩和によってトラック業界は過酷な状況に追い込まれ、運転者の過重労働や安全軽視が顕在化した。規制緩和が“改革”として推進された当時、問題が無視されたことが示唆されている。

「悪夢再び」 小泉進次郎の規制緩和は「トラック業界」を再び破壊するのか? 親子二代にわたる労働環境悪化の辛らつ現実

 奇矯な発言で注目を集めてきた小泉進次郎氏が、次期総理候補として名乗りを上げた。彼のスローガン「聖域なき改革」は、父・純一郎氏の政治手法を思い起こさせるものだ。

 純一郎氏の規制緩和政策は

「トラック業界」

に大きな影響を及ぼした。その結果、

・過当競争

・運賃のダンピング

・労働条件の悪化

が引き起こされ、

・事故率の増加

・労働時間の延長

といった具体的な問題が明らかになった。業界は今もその“後遺症”に苦しんでいる。進次郎氏の政策も、父親の「改革」の“負の側面”を再び浮かび上がらせるのではないかと懸念される。

 2001(平成13)年4月に誕生した小泉純一郎内閣は

「構造改革なくして景気回復なし」

をスローガンに掲げ、郵政民営化をはじめ、道路関係四公団や石油公団、住宅金融公庫、交通営団などの特殊法人の民営化を進めた。そして“小さな政府”を目指し、国民から圧倒的な支持を受けるなか、改革に抵抗する勢力は「抵抗勢力」として位置づけられ、その意見は軽視された。

 トラック業界にも規制緩和の影響が及んだ。1990年代から始まっていた規制緩和は、小泉政権下でさらに進められた。

 1990(平成2)年に貨物自動車運送事業法が施行され、トラック業界の規制緩和が進行。主な施策として、事業参入が免許制から許可制に、車両数が認可制から事前届出制に変更された。この規制緩和により、新規参入事業者が急増した。1996年には4万8629者だった事業者数が、2006年には

「6万2567者」まで増加した(29%増)。

 膨大な事業者数の増加によって、業界は過当競争に苦しむことになった。荷主からの運賃の値下げ要求が厳しくなり、トラック業界は少ない利益で過重労働を強いられた。利益を上げるために、ドライバーは疲労を抱えながら法定制限速度を超えて運転することが常態化した。安全軽視がまん延し、事故も増加。2003年には高速道路でトラック絡みの事故が増え、特に6月にはトラック絡みの死亡事故が7件も続けて発生し、規制緩和による安全軽視の問題が浮き彫りになった。

 ドライバーの過重労働が問題視され、「働き方改革」の流れが始まったのは2010年代後半からだが、小泉政権が規制緩和を推進していた時点で、既に問題は顕在化していたのだ。

 しかし、当時は規制緩和に対する批判がさまざまな「抵抗勢力」とひとくくりにされ、全く顧みられることはなかった。むしろ、小泉政権の下でトラック業界はさらに過酷な状況に追い込まれた。2003年4月には自動車運送事業法の改正が実施され、営業区域制度が廃止され、最低車両数が各地域5~15両から全国一律5両に削減された。運賃についても、30日以内の事後届け出が可能となり、さらなる大幅な規制緩和が行われた。この結果、新規参入はさらに増え続け、2011年には最大6万3082者に達した。