【画像50枚】1993年のサファリラリーで優勝した軽自動車!? スバル・ヴィヴィオ・グループAが完全レストアで当時の勇姿とサウンドが甦る!

AI要約

1992年にデビューしたスバルの軽自動車、ヴィヴィオRX-Rについて。ハイパフォーマンスな走行性能や車両仕様、モータースポーツでの活躍などを簡潔に紹介。

1993年のWRCサファリラリーにおいて、スバルがヴィヴィオRX-Rを投入。コリン・マクレーらワークスドライバーが参戦し、軽自動車としての快挙を達成。

その後、優勝車両の1台がフルレストアされ、オリジナルの状態に再現された。エクステリアからインテリアまで細部にわたるレストア作業の苦労と成果についても触れられている。

【画像50枚】1993年のサファリラリーで優勝した軽自動車!? スバル・ヴィヴィオ・グループAが完全レストアで当時の勇姿とサウンドが甦る!

2024年8月4日(日)、福島県のエビスサーキットにスバルがWRCで走らせた本グループAマシンが4台も集結するイベント『グループAラリーカーミーティング』が開催された。展示車両の1台、ヴィヴィオRX-Rについて詳細に紹介しよう。

スバルの軽自動車ヴィヴィオとは?

スバルが1992年3月に前モデルであるレックスからフルモデルチェンジする形でリリースされ、1998年の軽自動車規格改定に合わせる形で生産終了となった。

当時のスバルはメーカーイメージの刷新を進めており、1989年のレガシィ、1991年のアルシオーネSVXと次々と新型車を投入しており、ヴィヴィオも「ドライバーズ・ミニセダン」と謳われ"走り"の良さを追求していた。この流れは同年11月のインプレッサ登場で一旦の完成を見ることになる。

それはトップグレードである「RX-R」に象徴され、EN07型658cc直列4気筒DOHC16バルブにスーパーチャージャーとインタークーラーで過給したエンジンを搭載。前後ストラット形式の四輪独立懸架サスペンションにビスカップリング式フルタイム4WDを採用(FFも設定あり)。トランスミッションは5速MTのみという設定で、軽自動車の枠を超えた高い走行性能を実現していた。

モータースポーツでも、当時の全日本ラリー選手権における最小排気量クラスにおいて、デビュー初年度からスズキ・アルトワークス、ダイハツ・ミラターボと三つ巴の戦いを繰り広げ、その高性能ぶりをアピールした。

スバル・ヴィヴィオRX-R(1992年3月)

ボディサイズ:全長3295mm×全幅1395mm×全高1375mm

ホイールベース:2310mm

車両重量:700kg(FF)/750kg(4WD)

最小回転半径:4.9m

エンジン:EN07型水冷4サイクル直列4気筒DOHC+インタークーラー付きスーパーチャージャー

排気量:658cc

最大出力:64ps/7200rpm

最大トルク:9.0kgm/4000rpm

駆動方式:FF/ビスカスカップリング式フルタイム4WD

サスペンション(前/後):L型ロワアーム+ストラット独立懸架/デュアルリンク+ストラット独立懸架

ブレーキ(前/後):ベンチレーテッドディスク/ドラム

タイヤ:155/60R13(FF)/155/65R13(4WD)

新車価格(当時):110万円(FF)/122万円(4WD)

1993年のサファリラリー

1993年のWRC(世界ラリー選手権)は絶対王者ランチアワークスが撤退。トヨタ、三菱、スバルの日本車3メーカーとフォードの4ワークスで争われていた。その第4戦サファリラリーは、ワークス参戦はトヨタが4台エントリーの必勝体制を敷く一方、他3ワークスはエントリーしなかったことから、トヨタが1-2-3-4位を独占。あわせて、ワークスセリカのハンドルを託された岩瀬晏弘選手が4位となり、当時のサファリラリー日本人最上位(これまでは1983年の高岡祥郎/スバルと1990年の篠塚健次郎/三菱の5位)を更新したラリーとして広く知られている。

潤沢な資金力を持つトヨタがサファリ制覇に意欲を見せるのに対し、当時の壮大かつ特殊なサファリラリーの参戦コストが高さはトヨタに比べると資金力やチーム体制で劣る他3ワークスの参戦回避に繋がった。後にワークスチームのシリーズ全戦参戦が義務付けられると、サファリラリーはラリーフォーマットを圧縮を迫られ、最終的にはWRCから外れることにつながっていくのだが、それはまた別の話。

とはいえ、日本ではサファリラリーの認知度や訴求力は相変わらず高く、三菱はデビューしたばかりのランサーエボリューション(I)を篠塚健次郎に託し、ダイハツも恒例のシャレードを3台投入するなど、セミワークス体制でエントリーしている。

また、スバルも1980年の初参戦以来、サファリラリーへの参戦を毎年恒例としていた。1980年代のスバルのラリー活動はプライベートチームをメーカーが支援するセミワークス体制だった。しかし、1990年にプロドライブとのジョイントにより正式なワークス体制へ移行した後も、サファリラリーはプロドライブではなくこれまでどおり日本主導のセミワークス体制で参戦している。ちなみに、スバルワールドラリーチーム(プロドライブ)がサファリラリーにエントリーするのは1996年以降となる。

レガシィか?インプレッサか?いや、ヴィヴィオだ!

そんなスバルのセミワークスチームが「SMSG(スバルモータースポーツグループ)」だ。スバルのテストドライバーで、1964年の第2回日本グランプリでは大久保力選手に続き2位に入りスバル360の1-2フィニッシュに貢献しただけでなく、初期スバルのモータースポーツ活動で重要な役割を担った故・小関典幸氏が設立したモータースポーツクラブ「上州オートクラブ」を母体とするチームで、1973年から海外でのモータースポーツに参戦。アメリカの「バハ1000」や「ロンドン~シドニーマラソンラリー」を経て1980年にWRC・サファリラリーに挑むに至った。

以来、SMSGは毎年サファリラリーへの出場を重ね、もちろん1993年もエントリーしている。しかし、その参戦車両は1990年からスバルのWRC主戦マシンを務めていたレガシィRSでもなく、1992年11月にデビューしたインプレッサWRXでもなく、軽自動車のヴィヴィオRX-Rだった。

なぜレガシィRSでもインプレッサWRXでもなくヴィヴィオRX-Rを、誰がどうして選んだのか……今回の『グループAラリーカーミーティング』を主催し、このヴィヴィオRX-Rをレストアした故・小関典幸氏のご子息、小関高幸氏に訊いてみたところ、レガシィRSはすでにモデル末期でWRCマシンはインプレッサWRXへの交代が既定路線。かといってサファリラリー参戦を決める時点ではインプレッサWRXはまだまだ準備不足(インプレッサWRXのデビューは1992年11月。1993年のサファリラリーは4月開催だが、準備はそのかなり前から始まる)。

その間にあったのがヴィヴィオRX-Rだったというのがひとつ。そして何より"、"軽自動車でサファリラリーに出たら面白い"というのが大きな理由だったらしい。もちろん、選んだのは"親分"だったとのことだ。

かくしてヴィヴィオRX-RはグループAラリーカーに仕立てられ、軽自動車として初めてサファリラリーに挑むことになった。

ケニヤの英雄がクラス優勝の快挙!コリン・マクレーも激走!

SMSGがエントリーしたヴィヴィオRX-Rは3台。ワークスドライバーとして成長著しいコリン・マクレー、地元ケニヤの英雄パトリック・ジル、全日本ラリーでインプレッサWRXを走らせる石田正史の各選手がステアリングを握った。

軽自動車が過酷さで鳴るサファリラリーに参戦するというだけでも驚きだが、プロドライブの秘蔵っ子ワークスドライバーがドライブするということで大いに話題を攫った。

その起用について小関高幸氏によると、当時ワークスドライバーとして修行中だったマクレーがサファリでテスト走行をしていたことから、そのまま乗せてしまった……というような経緯だったとか。ヴィヴィオRX-Rの選択と合わせて世間をアッと言わせようとしていた"親分"の思惑が感じ取れる。

というのも、マクレーに関しては「完走など考えず、行けるところまで全開で行け!」という"親分"のオーダーがあったことが当時のメディアにも語られている。

その指示に違わず、マクレーは第1LEGでトヨタワークスのセリカGT-FOURに割って入る4位まで順位を上げるものの、サスペンションを壊してタイムアウト。リタイヤとなったものの、その走りは多くの人に衝撃を与えた。

また、石田正史選手も第3LEGでマッドホールから脱出できずオーバーヒートで無念のリタイヤとなった。しかし、1990年にグループN車(レガシィRS)をサファリ史上初めてゴールさせたジルは、今度はヴィヴィオRX-Rを無事にゴールまで導き、またもサファリラリー史上初の軽自動車による完走を成し遂げた。リザルトは総合12位、グループAクラス5優勝の快挙となった。

なお、リザルトを確認するとSMSG以外にも2台のヴィヴィオRX-Rがエントリーしており(34号車、52号車)、1台(34号車)が総合15位(クラス2位)で完走している。

パトリック・ジルの優勝車両をフルレストア

その後、この3台のヴィヴィオRX-RグループA車両は貸し出されてその他のラリーに出走したりしたようだが、最終的には優勝車両の1台を除いて処分されたようだ。残る1台もモーター系のイベントなどで展示された後は、車両を製作したKITサービス(故・小関典幸氏が設立し、現在は小関高幸氏が代表を務める)に展示されていた。

小関典幸氏が逝去し、小関高幸氏が跡を継いで代表となったのが2018年。KITサービスでは同社が携わったスバルの歴史的名車を何台も保存しているが、当時を知る関係者も次第に減ってきていることから、小関高幸氏は意を決し2023年7月25日よりこのヴィヴィオRX-Rのレストアに着手。約1年を掛けて、ほぼ当時の状態が再現された。

とはいえ、レストアは苦労の連続で、特に露天展示だったことからサビによるボディの劣化が激しく修復にはかなりの手間がかかったという。特にパテによる補修は極力少なくしたことも苦労に拍車をかけたそうだ。

また、ヴィヴィオ自体がすでに生産終了から15年も経過しており、確保しておいた部品取り車も年相応に劣化。もちろん新品部品は廃番が多く、その調達も大きな課題となったがデッドストック品を発掘できたのは車両を開発したからこその強みだ。

小関高幸氏は「動態保存がもっと楽だった時期にやっておけば良かった」とレストアしてみた今になって思ったそうだ。

ディティールチェック!【エクステリア】

レストア車両は優勝車の7号車で、パトリック・ジル選手がドライブしたもの。マクレー車のブルーと異なり、スポンサーであるT-BiRDのイエローになっている。こちらもボディの補修に合わせて塗り直されている。合わせて、ステッカーも当時のものをリメイクしており、再現性は抜群だ。

イベント当日は、レストア時に発掘された当時モノのSMSGステッカーが希望者に先着で配布され、オールドファンにとても喜ばれていた。ただし、あくまで当時モノなので、糊の状態や耐候性については期待できないとのことだった。

サファリラリーならではの装備といえばアニマルガードだが、これもオリジナルで製作されたもの。補助等はフォグランプもウイングランプもPIAA製を装着する。

また、念入りなアンダーガード類やマッドフラップ類の装着もハードなラフロードを走るサファリラリーならでは。サビの酷かったボディは修復され再塗装されてはいるものの、それでも走行時のダメージは感じられるし、何よりフロントアンダーガードに残る傷跡が30年を経てもなお実戦を思い起こさせる。

ホイールはKITサービスオリジナル品を装着している。何より驚いたのがそのホイールに装着されたタイヤ。ブリヂストンのラリータイヤはPOTENZA RE46Rだが、サファリラリー仕様の特別製。しかも、このタイヤは当時モノのデッドストックなのだ。流石に30年落ちのラリータイヤで走行するのは憚れるので、走行時はノーマルタイヤに履き替えた。

ディティールチェック!【パワートレイン&足まわり】

エンジンはグループA規定に合わせたファインチューニングを施しており、ECUもグループAに合わせてセッティングしている。また、ラジエーターはオリジナルのアルミ製に換装。とはいえ、外観はノーマルとほとんど変わらない。

リヤデフにスバル純正LSDを入れているほかは駆動系は基本的にノーマルのまま。トランスミッションも純正の5速MTだ。車体の下を覗くと、リヤデフまわりにはアンダーガードを装着していないのが意外だ。

サスペンションはKYBの車高調で、サファリ用の特別仕様を装着。リヤのみ別タンク式になっているのだが、当初はフロントも別タンク式を考えていたことから、フロントのホイールハウス内にはタンク設置用のステーだけが残されていた。

ブレーキはフロントがベンチレーテッドディスク、リヤがドラムという形式はノーマルと同様だが、ブレーキホースはオリジナルのステンメッシュ製に換装されている。

ディティールチェック!【インテリア】

グループA時代のラリーカーはWRCマシンであっても、コックピットはダッシュボードやドアトリムが市販車のまま残されているなど意外とノーマルの雰囲気を感じさせる。特にこのヴィヴィオはKITサービスで製作されていることから、よりノーマル度が高いように見受けられる。

EVA製のフルバケットシートはSUBARUのロゴが入ったオリジナル品。レストアにあたり当時の職人が表皮を張り替えるなど補修しているが、その際にロゴだけは元の表皮から移植しているという。ただし、実戦でのパトリック・ジル車のシートはレカロ製のSP-Gを装着していたそうだ。

グループAラリーカーの例に漏れず、ダッシュボードなどはそのまま残るがカーペットなどの内装はすっかり剥がされている。一方でドアトリムが残るのもこの時代のグループA車両には多いパターンだ。

しかも、RX-Rはヴィヴィオのトップグレードなので、パワーウインドウが標準となっており、このグループA車両にはそのまま残されていた。ただ、トップグレードではあるのだが、スーパーチャージャー+CVTの「GX」に装備されるエアコンがRX-Rには装備されていないのは、走り志向だったからだろうか。

ちなみに、1993年2月に追加されたクロスミッションを搭載する競技ベースグレードの「RX-RA」ではエアコンはもちろん、パワーウインドウも外されている。

ラゲッジスペースはグループA車両として大きく変わっているところで、燃料タンクは公認の安全タンクをリヤシート位置に設置。バッテリーも後席左端に移設されている。13インチの小径とはいえスペアタイア2本を収め、安全タンクと長めのパイプが繋ぐ給油口もラゲッジルーム内に収められる容量は、セダンを名乗るもののボンネットバンの流れをくむ2ボックスボディの賜物か。

ロールケージも当時モノを補修して使用しているのだが、グループA車両としては控えめな構成に見える。コックピットにはサイドバーもなく、リヤの斜行バーも右上から左下の1本のみ。コックピットにはサイドバーも無い。それでも、フロントまわりよりリヤの方が比較的多めなのは、開口部の大きな2ボックスボディゆえか。

サファリ仕様の車両を製作するにあたっては、汎用品は兎も角として、まだデビューから間もないヴィヴィオの専用パーツはあまり出揃っておらず、オリジナルで製作する部分も多かったという。

それもあって、グループA規定の改造もラリーを走る上で必要な範囲にとどまったことから、グループA車両ではあるもののかなりノーマルに近いというのが実情だそうだ。

逆にグループA規定に必要な改造さえ施せば、WRCで最も過酷とさえ言われるサファリラリーを走り切ることができる性能を備えていたとも言えるだろう。

ヴィヴィオ以降、ワゴンRから始まるハイトワゴン系が軽自動車市場の主流を占めるようになったことからセダンタイプの軽自動車は減少。まして競技まで視野に入れたハイパフォーマンスモデルは極めて稀な存在になっていく。スバルもプレオ、R1/R2、ステラと市場に翻弄され、最終的には軽自動車生産から撤退した。そんなことから、ヴィヴィオには根強いファンがおり、イベント当日にもこのレストアされたサファリラリー優勝車をひと目見ようとヴィヴィオオーナーが集まっていた。