大手広告代理店を辞め「芸能事務所」をはじめた、45歳男性の「その後の地獄」…仕事は白紙、1年ですべてを失った

AI要約

働き方の多様化が進み、副業やリモートワークが普及している中、起業のハードルも下がりつつあり、新設企業数が増加している。

しかし、ベンチャー企業の生存率は低く、スタートアップの生存競争は激しい状況にある。

元大手広告代理社員で芸能事務所を設立した圭太さんの事例から、スタートアップの困難さが浮き彫りになっている。

大手広告代理店を辞め「芸能事務所」をはじめた、45歳男性の「その後の地獄」…仕事は白紙、1年ですべてを失った

働き方の多様化が定着しつつある昨今、一部企業では副業の解禁やリモートワークを推進するなどの新たな動きを見せている。

特に近年では、終身雇用が崩れ、定年退職するまでひとつの会社で勤め上げるよりも、ステップアップのために転職をする人たちも多く、その市場も大きく拡大している。

国の支援が手厚い今は起業のハードルも下がりつつあり、帝国データバンクの調査によれば、2024年4月時点で全国に新設された企業は2年ぶりに増加。コロナ禍の影響で、昨年は減少傾向にあったものの、この約20年間で増加の一途をたどっている。

その一方で、まことしやかに囁かれるのは、スタートアップの生存率の低さだ。東京商工リサーチのデータによれば、ベンチャー企業の10年後の生存率はは6.3%、20年~50年後は0.3%と厳しい数字が並んでいる。

元大手広告代理社員でテレビCMを担当していた圭太さん(仮名・45歳)もそんな生存競争に苦しんだひとりだ。そのまま代理店社員ならば、今頃は年収1000万円をこえていただろう。しかし圭太さんは10年前の35歳のときに退職し、主に女性タレントのエージェント(芸能事務所)を設立したのだった。

エージェントにはそれまでの人脈で13歳~25歳までのモデルや女優の卵ちゃん“たちが10名ほど在籍し、売り出してどんどんビジネス展開していくはずが……ほぼ仕事が白紙となり、設立直後から大変な状況に陥った。

加えて妻の父親登場、不倫、家族関係に亀裂……設立から1年ですべてを失ってしまった。あれから9年。当時の状況から今に至る経緯を話してもらった。

「学生の頃からキラキラ華やかな世界が大好きでね。テレビ番組制作会社でアルバイトをしていたんです。主にバラエティ番組を作る会社だったんだけど楽しくてね。

自分は一生“テレビの世界で生きていく”と思ってやっていたんですけどね……退職して会社設立してすぐにどん底とは。1年後にはすべてを失いました」

そう。圭太さんは、独立後すぐに“経営が傾く”という危機を迎えたのだ。

「いやね。会社を設立したのは今から10年前のことです。当時はまだSNSが今ほど普及していなかった。“メディアの王様はテレビ”と信じていた頃です。

僕は、会社ではわりとやり手でした。担当したテレビCMは軒並み好評で、企業の売り上げも上がりましたからね。自信がありました。それで、仕事を通して知り合った、タレントの卵の女子たちを集めて、芸能事務所を設立したんです。

卵ちゃんたちは13歳から25歳くらいで、女子がほとんど。やってきた分野ならやれると思ってのことでした」

制作会社としても機能する芸能事務所をやりたかったそうだ。例えば吉本興業がその方法で成功しているわけだが、そのスケールよりも小さい版をやろうとしていた。

小さな番組でもいい、枠をもらって制作し、CMと連動させる。そこに、自社のタレントを登場させていく。そのやり方で、業績をあげていこうと思い、退職して会社を設立したのだ。

役員として名義を貸してくれた妻と2名の合同会社でのスタート。いきなり株式会社にするのはハードルが高いと思ってのことだった。

だが、思うようにはいかなかった。「応援するよ」と言っていたテレビ番組プロデューサーのもとに挨拶に行ったときに「ああ、ごめんごめん、あの話はなかったことで……」と、たった10分でミーティングを打ち切られてしまったのだ。

「僕が退職した途端、今までの取引先が僕をスルーするようになったんです。会ってくれるのは、まだいいほう。ミーティングもタレント出演の話も、メールや電話でのキャンセルが続出しました。

“まさか、嘘だろ”って思いましたよ。僕はそれまで、人間性とか実力で、みんなと人間関係を築いてきたと思っていましたから。でも実際は違っていた。みんなが相手にしてくれていたのは、僕が大手広告代理店社員だったからだったのです」