高校野球「3年間、ベンチ入りできない球児は不幸か」問題を考える

AI要約

高校野球における補欠問題について考察。強豪校に多い3年間ベンチ入りの実態とその先に待つ可能性について論じる。

ベンチ入りできなかった球児たちの将来について、選手を取り巻く環境やセカンドキャリアの重要性について示唆する。

高校野球を通じて学び、成長した全ての球児たちへのエール。将来に向けた新たなチャレンジへの期待を込めて。

 夏の風物詩「甲子園」が終わった。その形態に賛否があっても、選手たちのプレーにこれだけ多くの人が心を揺さぶられるスポーツイベントは稀有だ。

 スポーツマネジメントをテーマとした本連載、今回はそのベースである高校野球にある「補欠」問題について考える。

■ 「3年間、ベンチ入りできない球児は不幸か」

 今年も高校球児たちの熱戦に胸が熱くなる日々を過ごしてきた。

 全国高校野球選手権大会は106回を数える。猛暑対策や球児の故障を予防するための過密日程への対応など、大会運営にはさまざまな課題もあるが、今回のコラムでは、強豪校に多くある「3年間、ベンチ入りできない球児は不幸か」をテーマにしたい。

 甲子園に出てくる強豪ともなれば、部員数が100人を超える大所帯のチームも珍しくない。テレビ中継を見てもらえばわかるが、一塁側、三塁側、それぞれのアルプス席からはブラスバンドや在校生、OBらとともに声援を送る現役の球児たちがいる。

 彼らはベンチ入りメンバーから外れた“選手”たちだ。

 高校野球は地方大会、甲子園ともにベンチ入りできる選手の数が決まっており、残念ながら全員が背番号を付けることができない。

 野球に自身の青春をかけて高校に入学したにもかかわらず、3年間で一度も公式戦に出場できずに卒業する選手はかなりの数になる。少し古い話になるが、2016年に当時のスポーツ庁長官だった鈴木大地氏は「17万人の高校球児のうち、10万人以上は試合に出ずに終わる」と指摘した。

 競技人口が減少する中でも、強豪校の門をたたく生徒は依然として多く、けがや部内の競争で勝ち残れないと、試合に出場できない厳しい現実があるのは間違いない。

■ ベンチ入りが叶わなかった先にあるもの

 このことへの批判の声は多い。ただ、私自身の考えは少し違う。

 彼らは自らの意思で強豪校の門を叩いたはずだ。強豪校でレギュラーをつかめば、その先に甲子園、あるいは大学や社会人、プロで野球を続けるチャンスも待っている。そんな目標を持って飛び込んだ世界は狭き門でもあり、厳しいサバイバルが待ち受ける。

 野球は努力だけで超えられない“壁”も存在する。どれだけ練習しても、スピードボールは投げられない。打球を遠くへ飛ばす能力も天性のものが必要だったりもする。それでも、競争を勝ち残るために努力を重ね、最後の夏を前にして、ときに非情な結果を受け入れなければならない。

 では、そこで勝ち残れずにベンチ入りできなかった球児は不幸か。

 私は、その先を見たいと思っている。

 必死に練習しても目標に届かなかったとき、燃え尽きて終わるようでは意味がない、と。野球で「そのときは」勝てないとわかったとき、“セカンドキャリア”(あくまで私のイメージだが球児たちの熱量は、一つ目のキャリアを終えた、くらい強い思いがある。ゆえにここでは”セカンドキャリア”と表現させてもらう)をどうするかを見据える球児の将来は明るいはずだ。

 それこそ、野球がすべてではない。私の高校でも、途中からマネージャーとしてチームを支えながら、勉強して京都大へ進学した後輩がいる。弁理士として活躍する後輩もいる。他の高校でも、野球ではプロになれなかったが、社会人として成功しているビジネスマンもたくさんいる。

 彼らが口を揃えるのは「高校野球があって良かった」という一言だ。

 試合に出られるか、出られないかではなく、野球を通じて学んだことを次に発揮できる球児にとって、決して控え選手で過ごした時間は無駄にはなっていないと思う。

 「試合に出られないのは問題だ。ほかの高校へ転校できる制度があってもいい。控え選手だけのリーグ戦を作ればいい」などの声を聞く。その声に反対はしない。こうした制度があれば、球児の選択肢は広がるだろう。

 ただ、それは、“外野”が言うことではない。高校生には意思がある。強豪校でもまれる経験だって、立派な財産ではないだろうか。

 高校野球の先に現役を続けられる選手は少ない。

 甲子園に出ても、プロになれるわけではない。高校球児は、誰でもいつか、“セカンドキャリア”を考える時期にぶつかる。ベンチに入れなかった球児たちは、社会人の“出世争い”や“ビジネス競争”を先取りしているともいえる。

 悔いなくやりきったという思いがあれば、高校野球を“卒業”した先に新たなチャレンジもできるはずだ。

 わが母校の京都成章は京都大会の1回戦で今夏の優勝校・京都国際に3対0で負けた。いわゆる初戦敗退だ。その負けた3年生が京都国際のアルプスに足を運んだ。印象的だったのが、京都成章のポロシャツを着て応援していたのだ。京都国際の小牧憲継監督が京都成章のOBというのもあっただろうが、それよりも「この場に立ちたかった」という思いがあったはずだ。

 それだけではない。「うらやましい」とか「悔しい」という気持ちもあっただろう。

 アルプス席からチームメートに精一杯の声援を送った球児たちに、「よく頑張った」とねぎらいの言葉をかけたい。

 そして、3年間の悔しさを次にぶつけて、自らの人生を切り開いてほしい。人生はこれからのほうが、はるかに長い。この夏、完全燃焼をしたすべての球児に、心からエールを送りたい。