7000人診察して見えた、部下を退職させても「無責任な上司」の正体

AI要約

『職場を腐らせる人たち』は、根性論や責任転嫁などの問題行動を持つ人々を精神科医の視点から分析したベストセラー書籍である。

「ゲミュートローゼ」と呼ばれる社会的成功者にも見られる特定の人格タイプについて解説し、その罪悪感の欠如や自己保身への傾向を指摘している。

このようなタイプの人間は改善が難しく、職場の人間関係を腐らせる可能性が高いことが警告されている。

7000人診察して見えた、部下を退職させても「無責任な上司」の正体

根性論を押しつける、相手を見下す、責任をなすりつける、足を引っ張る、人によって態度を変える、自己保身しか頭にない……どの職場にも必ずいるかれらはいったい何を考えているのか。5万部突破ベストセラー『職場を腐らせる人たち』では、これまで7000人以上診察してきた精神科医が豊富な臨床例から明かす。

輪をかけて厄介なのが、ドイツの精神科医、クルト・シュナイダーが「ゲミュートローゼ(Gemütlose)」と名づけたタイプである。「ゲミュート(Gemüt)」とは、思いやりや同情心、羞恥心や良心を意味するドイツ語であり、そういう高等感情が欠如している人が「ゲミュートローゼ」だ。シュナイダーは「ゲミュートローゼ」を「精神病質人格」の一種とみなしている(『精神病質人格』)。

「ゲミュートローゼ」は、日本語では「情性欠如者」と訳される。「ゲミュートローゼ」は罪悪感を覚えることを徹底的に拒否し、反省も後悔もしない。もちろん、良心がとがめることも一切ない。

実は、政治家や実業家などの社会的成功者にも「ゲミュートローゼ」は少なくない。「ゲミュートローゼ」の成功者は、「嫌な奴ほど成功する」ような印象を与えることさえあるが、この印象はあながち間違いとはいえない。

その最大の原因は、意志が非常に強く、他人の屍を超えてすら己の信じる道をひたすら突き進むことだろう。これは、「目的を貫徹するためには(目的は自我的のものと限らず、純粋の理想のこともある)、他人がどう思おうと、どうなろうと、意に介しない」からだ(『臨床精神病理学序説』)。

異常に意志が強いうえ、罪悪感や自責の念に耐えることを徹底的に拒否する「ゲミュートローゼ」は、アメリカの精神科医、M・スコット・ペックが指摘したように、「自分の罪悪感と自分の意志とが衝突したときには、敗退するのは罪悪感であり、勝ちを占めるのが自分の意志である」という状態になりやすい(『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』)。

部下に過大なノルマを押しつけたり根性論を持ち込んだりして、退職、場合によっては自殺という深刻な事態にまで追い込んでも、上司が自分には一切責任がないかのようにふるまうことがままある。この手の上司も、実は異常に意志が強く、罪悪感とは無縁の「ゲミュートローゼ」なのかもしれない。

さらに、ペックは「自分自身の罪深さに目を向けることのできない、あるいは目を向けようとしない」人々の特徴として、「他人の欠点を責めることによってその言い逃れをしようとする」点を挙げている(同書)。

これは、『職場を腐らせる人たち』第1章事例10で取り上げた常に責任を他人に転嫁する人に認められる特徴にほかならない。責任転嫁の達人が順調に出世すると、トラブルが発生するたびに責任を部下に平然と押しつけ、あたかも他人事のような顔をすることも少なくない。このような厚顔無恥なふるまいができるのは、自分自身の罪深さに目を向けようとしないからだろう。

注目すべきは、「ゲミュートローゼ」の「本質特徴」としてシュナイダーが「改善の不能性」を挙げていることだ(『精神病質人格』)。「かかる人間は教化矯正し難い」とまで述べている(『臨床精神病理学序説』)。「ゲミュートローゼ」を教育や治療によって改善するのは難しいので、法的に許される範囲で隔離するしかないという悲観的な見方をシュナイダーはしていたようだ。

「ゲミュートローゼ」は、あなたの職場にも潜んでいるかもしれない。しかも、鋼(はがね)のごとき意志の持ち主で、他人の屍を超えて進むこともいとわないため、出世して権力や影響力を行使できる役職に就いていることも決してまれではない。シュナイダーが見抜いたように、「かかる人間」を変えるのは至難の業ということを忘れてはならない。

つづく「どの会社にもいる「他人を見下し、自己保身に走る」職場を腐らせる人たちの正体」では、「最も多い悩みは職場の人間関係に関するもので、だいたい職場を腐らせる人がらみ」「職場を腐らせる人が一人でもいると、腐ったミカンと同様に職場全体に腐敗が広がっていく」という著者が問題をシャープに語る。