7000人診察した精神科医が明かす、「羨望や嫉妬に突き動かされている人」の陰湿な実態

AI要約

職場で見られる自己保身や悪意を持つ人々について解説。自己中心的な行動や羨望、嫉妬による陰湿な感情、合理的思考との違いを明らかにする。

自己保身の考え方や羨望、嫉妬によって行動する人々が職場にどのような影響を与えるかを考察。悪意を持つ相手との交渉や対処法についても触れられている。

アリストテレスの悪意に着目し、他者の欲望を満たさず、相手を損なうことに喜びを感じる人々についての考察。合理的思考との対比も行われている。

7000人診察した精神科医が明かす、「羨望や嫉妬に突き動かされている人」の陰湿な実態

根性論を押しつける、相手を見下す、責任をなすりつける、足を引っ張る、人によって態度を変える、自己保身しか頭にない……どの職場にも必ずいるかれらはいったい何を考えているのか。5万部突破ベストセラー『職場を腐らせる人たち』では、これまで7000人以上診察してきた精神科医が豊富な臨床例から明かす。

自己保身のためなら何をしてもいいという思考回路は、自分の損得しか考えておらず、きわめて自己中心的だ。しかし、裏返せば「そんなことをすると、長い目で見ればあなたにとって損になりますよ」と説得したり、なるべく喪失不安を刺激しないように気をつけたりすれば、一連のふるまいを改めさせることができる可能性があるともいえる。

損得勘定が判断基準になっている利己的な人の根本にあるのは、「何が自分にとって得になるか」という現実原則なので、ある意味では合理的思考にもとづいている。だから、合理的な利己心に働きかければ、少なくとも実害を減らすことはできるはずだ。

ところが、職場を腐らせる人のなかには、必ずしも合理的思考にもとづいているわけではないタイプがいる。その典型が羨望や嫉妬に突き動かされている人である。

何にでもケチをつける人や事実無根の噂を平気で流す人、あるいは陰で足を引っ張る人の根底にはしばしば羨望が潜んでおり、ときには嫉妬もからんでいる。羨望は他人の幸福が我慢できない怒りであり、嫉妬は自分の幸福を奪われるのではないかという喪失不安だが、いずれも非常に陰湿な感情である。

このような陰湿な感情を自分が抱いているのは恥ずべきことであり、誰だって認めたくないだろう。だから、自身の感情からどうしても目をそむけがちである。厄介なことに、こうした感情は往々にして合理的思考を妨げるので、たとえ自分には何の得もなくても、ときには損する恐れがあっても、他人の幸福をぶち壊そうとする。

たとえば、邪魔者を蹴落とすために事実無根の悪い噂を流すのは、かなりリスクを伴う行為である。ターゲットにされた側は、自分が引きずりおろされないように犯人探しに躍起になるだろう。そして、自分をおとしいれようとした犯人の特定に至り、「あいつに嘘八百を言いふらされた」と吹聴する可能性も十分考えられる。そうなれば、卑劣な手段で他人の足を引っ張ろうとした卑怯者として周囲から白い目で見られるかもしれない。最悪の場合、仕返しも覚悟しておかなければならない。

第一、邪魔者を蹴落としたからといって、必ずしもその後釜に自分が座れるとは限らない。羨望の対象だった他人の幸福を自分が手にできる保証もない。にもかかわらず、他人の幸福をぶち壊そうとするのは、陰湿な感情に突き動かされて、悪意の塊のようになっているからだろう。

悪意を「自分が得をするためではなく、相手が得をしないように他者の願いの邪魔をすること」と定義したのは、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスである(『悪意の科学―意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?』)。羨望や嫉妬のような陰湿な感情に突き動かされて職場を腐らせる人は、他者の欲望を満足させないためには何でもするし、それがうまくいくと快感を覚えるようにさえ見える。その胸中には、まさにアリストテレスが定義した悪意が潜んでいるとしか思えない。

このような悪意を秘めた人を相手にすると、理屈も駆け引きも通じない。合理的な利己心の持ち主は、自己保身しか考えておらず、損得ずくで動くとはいえ、そちらのほうが多少は話が通じるので、まだましと思えるほどである。

つづく「どの会社にもいる「他人を見下し、自己保身に走る」職場を腐らせる人たちの正体」では、「最も多い悩みは職場の人間関係に関するもので、だいたい職場を腐らせる人がらみ」「職場を腐らせる人が一人でもいると、腐ったミカンと同様に職場全体に腐敗が広がっていく」という著者が問題をシャープに語る。