「こだまのどら焼」のピンチを救った3代目の決断 ブランド強化につなげた選択と集中

AI要約

仙台市若林区の和菓子店「こだま」は、商品の8~9割をどら焼きに特化し、立て直しに成功した成功ストーリー。

3代目社長の児玉康さんの取り組みや商品の魅力、歴史、お客様の声によって再度注目を浴びるようになった。

家業を継いだきっかけから、独自の道を歩み始めた経緯と、どら焼きの味わいについても紹介。

「こだまのどら焼」のピンチを救った3代目の決断 ブランド強化につなげた選択と集中

 仙台市若林区のこだまは、商品の8~9割をどら焼きに特化し、市内5店舗を展開する和菓子店です。コンビニなどとの競争激化で、一時は全盛期の8分の1にまで売り上げを落としましたが、2013年に3代目社長になった児玉康さん(47)が、立て直しに奔走しました。膨らんだ商品ラインアップを、祖業の「こだまのどら焼」に絞り込み、おやつからギフト用の需要に切り替えて販路を拡大。「懐かしみ路線」を掲げ、パッケージや制服のリニューアル、採用強化、観光農園の運営など多彩なブランド戦略で、売り上げを上向かせました。

 こだまは1949年、児玉さんの祖父・久さんが創業しました。もち入りどら焼きを中心に常時10種類、季節商品を含めると約20種類のどら焼きを作っています。

 どら焼きの生産量は1日約4千個。市内の直営5店のほか、県内のサービスエリアや駅、空港など約40カ所で販売しています。従業員数は約35人で、うち半分は正社員。毎年新卒を採用しています。

 現在の看板商品の「もち入りどら焼」は、創業翌年に生まれます。たまたま余っていた皮にあんこと求肥(ぎゅうひ)を挟んだ試作品が好評で、商品化しました。

 北海道産の小豆をじっくり蒸して作る甘さ控えめのつぶあんと、当日の朝に仕込むふわふわの生地を、もちもちの求肥がつなぐ。三位一体のバランスで人気となりました。

 児玉さんは最初、家業を継ぐ気はなかったといいます。厳しかった2代目の父・興さんや「生まれた時からずっと菓子店」という環境への反発心からでした。

 京都の大学を卒業後、そのまま京都で金融業界に就職。ところが5年ほど経ったころ、興さんが体調を崩します。「長男の私が継がなければ、もはや廃業という状況でした。そうなったら、自分が死ぬ時に後悔すると思ったんです」

 児玉さんを突き動かしたのは「お客さまの声」でした。仙台から遠く離れた京都でも、「『こだまのどら焼』を食べた」と聞く機会が何度もありました。

 興さんや家業への感謝や敬意がわいた児玉さん。製菓専門学校で1年間勉強して製菓衛生師の資格を取った後、こだまに入社します。2007年、30歳の時でした。