世界中で知られる「ホンダ四輪」の代表格・アコードの48年間11代に渡るモデルの変遷を辿る

AI要約

ホンダの自動車と聞いて、革新的・実用的で小回りがきくクルマが連想される。特にスポーツセダンとして名高いアコードに焦点を当て、その歴史と進化を振り返る。

1976年に初代アコードが登場し、「ゆとり」と「調和」を基本テーマに開発され、40~50代の層に向けたクルマとして評価される。グローバルモデルとしての地位を築いていく。

1981年、1985年にフルモデルチェンジを果たし、アメリカ市場でも成功を収める。性能や設計において世界一の評価を受けるなど、アコードの特長は着実に高まっていった。

世界中で知られる「ホンダ四輪」の代表格・アコードの48年間11代に渡るモデルの変遷を辿る

ホンダの自動車と聞いて、どんなイメージを抱くでしょうか。個人的には「革新的・実用的で小回りがきくクルマが多い」というイメージです。軽ワゴンからコンパクトカー、SUVなどのヒットがそう感じさせるのかもしれませんが、その一方で、スポーツセダンにも名車があります。その筆頭が1976年より発売され続けるロングセラーモデル・アコード。

先代モデル、シビックのコンセプトをさらに昇華させ「人と時代に調和したクルマ」として登場し、日本国内はもちろん世界中で絶大な支持を得たモデルでもありました。今年3月には11代目となる新型が登場したアコード。ここで改めてその変遷を、ホンダの担当者に一部話を聞きながら振り返ります。

1976年の1600ccのハッチバック型の初代アコード登場時のプレスリリースにはこんな記載があります。

「ここにご案内する〈ACCORD〉は、若々しい精神をもつ現代人のクルマとして、ホンダが開発した新鮮な〈ハッチバック・セダン〉。乗る人たちへの『ゆとり』とクルマをとりまく環境への『調和』を提供することを基本テーマとした〈新しい主張のあるアダルトカー〉です。CIVICに求めたクルマの原点を変えることなく新しい価値をクルマに与え、ヒューマンなクルマとしての豊かさをもたせて完成しました」(原文ママ)

この言葉の背景には、1970年代半ばまでの「ある問題」があったとホンダ担当者は言います。

「1970年代半ばは、エネルギー問題や新しい排ガス規制の影響を受け、自動車業界にとって大きな変革の時代でした。そのような時代背景の中、乗る人たちへの『ゆとり』と、クルマをとりまく環境への『調和』をめざし、初代アコードが1976年に誕生しました」

そのターゲットは40~50代。自らの価値観を確立し、生活・信条ともにゆとりある層に向けての登場でした。

1976年の初代以降に登場したいくつかの派生モデル、マイナーチェンジなどの中で1800ccモデルも登場。世界90カ国もの国々で愛されるようになり、1981年までに150万台の生産台数を誇りました。

この経緯についてホンダ担当者はこう言います。

「時代に先駆けた技術や価値を取り入れながら、社会とともに進化した結果、アコードはグローバルモデルへと成長したと考えています」

これらを経て1981年にフルモデルチェンジ。2代目アコードが登場します。姉妹車となるビガーといったモデルも追加され、アコードの支持はますます高まっていきました。また、日本車として初めてアメリカで生産されることになったのもアコードでした。アメリカ市場において1982~1984年まで、3年連続で日本車の販売実績1位にもなり、一時はアメリカ人の間で「日本車」と聞けばアコードを思い浮かべる人が多くいました。

そして、1985年には再びフルモデルチェンジ。これが3代目アコードです。エンジン重量あたりの出力効率は当時世界一も記録するなど、アコードの特長は、さらに大きく飛躍しました。