今や1台4億のクルマさえ完売するパガーニの初市販車「ゾンダ」は、全然売れなかったって本当?

AI要約

パガーニは過去から現在に至るまでの歴史を振り返り、創業者の情熱と努力によって成功を収めたエピソードを紹介。

ハイパフォーマンスカー市場での競争に挑みながら、4億円を超えるクルマが完売するなど、パガーニのブランド力の高さを示す。

オラチオ・パガーニが創業した30年ほどの歴史しか持たない若いブランドでありながら、ランボルギーニでの経験を活かし、成功を収めた経緯について紹介。

今や1台4億のクルマさえ完売するパガーニの初市販車「ゾンダ」は、全然売れなかったって本当?

 新車価格が億を軽々超えるハイパフォーマンスカーを販売するブランドとして広く知られているパガーニ。しかし、その歩みは決して順調だったわけでない。ではいかにしてこの新興勢力は、競合の多いスーパーカーブランドで成功を収めることができたのか。その足跡を辿ってみたい。

 文:越湖信一/写真:ベストカー編集部

 「ニューモデルの「ウトピア-Utopia」は2.3ミリオンユーロ(約4億円)のプライスとなります。99台限定で、既に完売しています」。

 ゾンダ、ウライアに続く最新モデルレンジのローチにおいて、このようなコメントを受け取った。

 冷静に考えてみれば、一台4億円ものクルマを、実車も見ずに99台が完売してしまうとは、もはやフツウの出来事ではないのだが、現代のハイパーカー・ウォッチャーとしては、"ああ、そう"とごく当たり前に受け止めてしまうのが恐ろしくもある。

 そもそもパガーニ社は1992年にモデナにおいて、オラチオ・パガーニが創設した自動車メーカーだ。つまり、まだ30年ほどの歴史しか持たない若いブランドである。

 こういった激戦区に参入し、大成功を収めているのだから、パガーニはきっと大資本を投入して準備万端でスタートアップした会社であろう、と思う方も居られるであろうが、それは全く正しくない。

 1955年アルゼンチン生まれのオラチオが、倒産して裁判所管理となっていたランボルギーニの門を叩き、無理矢理潜り込んだところからそのストーリーは始まった。

 もともとデザインやFRPを用いた試作などのスキルを持ったオラチオはマンパワー不足のランボルギーニにおいて重宝された。

 カウンタック25thアニバーサリーのスタイリング開発をはじめ、重要な案件を矢継ぎ早に手がけることとなった。まさに、彼の持ち前の情熱で頭角を現したワケだ。

 オラチオは、当時レースカーに応用されはじめたカーボンファイバーによるボディ製作のスキルも会得していた。彼は独立し、ランボルギーニやフェラーリF1などに提供する特殊パーツ製造を請け負う会社を設立した。

 このモデナデザイン社が、パガーニ社の起源となる。