なぜ多くの人は不毛すぎる「お金や名声の奪い合い」をするのか…悲劇が生まれる「シンプルな理由」

AI要約

世界から経営が失われつつあり、本来の経営の概念が欠如している。

価値創造が人類の幸福を増大させてきた過程と重要性について述べられている。

個人の強みと弱みを補完し合うことで集団が高い能力を発揮できる価値ある状態を創り出してきた。

なぜ多くの人は不毛すぎる「お金や名声の奪い合い」をするのか…悲劇が生まれる「シンプルな理由」

わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

世界から経営が失われている。

本来の経営は失われ、その代わりに、他者を出し抜き、騙し、利用し、搾取する、刹那的で、利己主義の、俗悪な何かが世に蔓延っている。本来の経営の地位を奪ったそれは恐るべき感染力で世間に広まった。

「本来の経営」の欠如はすべての人の人生に不幸をもたらす。経営概念の誤解は個々人に実害を与え、社会を殺伐とさせる。

プラトンの時代からドラッカーの登場まで、人類史における本来の経営は「価値創造という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げるさまざまな対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だったはずだ。

そもそも人間は社会的な動物だ。他者と生きる存在である。同時に人間は理性的な動物だ。現在だけでなく過去と未来の概念を持つ。

それゆえに人間は自己の幸福を他者に左右され、他者を不幸にする刹那的で利己的な行動をとった過去は未来において罰せられる。他者と自己を同時に幸せにする価値創造でしか、個人にも集団にも恒久的な幸せは訪れない。

実際に、これまで人類は価値創造によって幸福を増大させてきた。

洞穴という限られた住居をめぐって奪い合う時代から、他者と共同して竪穴式住居という価値を創造する時代へと移行した。狩猟採集の時代から農耕牧畜の時代へと脱皮した。人類は価値創造によって都市や国家を形成し、それがさらなる価値創造を生んだ。

我々は誰しも強みと弱み/得意と不得意を持つ。そして「誰かの強みで別の誰かの弱みを補完する」という価値創造のジグソーパズルを解き続けることで、全体として/システムとして、集団がバラバラな個人として生きるより高い能力を発揮できる価値ある状態を創り出したのである。

こうして個人では不可能な価値創造も集団なら可能になった。