「斎藤佑樹ならではの恩返しを…」元プロ野球選手のネクストキャリア 今追いかけている〝夢〟は

AI要約

元プロ野球選手の斎藤佑樹さんが引退後の新たなキャリアについて語る。

野球と共に生きてきた生活が一変し、新たな挑戦に不安と希望を抱いていた経緯。

株式会社斎藤佑樹の設立から未来への展望や野球界への恩返しについての熱い思い。

「斎藤佑樹ならではの恩返しを…」元プロ野球選手のネクストキャリア 今追いかけている〝夢〟は

「野球のない生活が想像できなかった」と語る、元プロ野球選手の斎藤佑樹さん。甲子園で球史に残る名勝負を演じ、11年間日本ハムでプレーしました。引退後は自身の名前を冠した「株式会社斎藤佑樹」を設立。「自分にしかできない恩返し」がしたいと、今は新たな夢を追いかけて活動しています。引退から2年半が経つ今、ネクストキャリアを経験して感じたことを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)

<斎藤佑樹(さいとう・ゆうき):1988年、群馬県生まれ。2006年、早稲田実業学校高等部3年時に夏の甲子園に出場し全国制覇を遂げた。10年に早稲田大学を卒業後、ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団するも、度々ケガに悩まされる。21年10月に引退を発表し、同年12月に『株式会社斎藤佑樹』を設立。「野球未来づくり」をビジョンに掲げ、子どものための野球場づくりをはじめ精力的に活動している。23年、スポーツ事業全般を営む企業シーソーゲームの取締役 兼 CIO(Chief Innovation Officer)に就任。アスリートのネクストキャリアをサポートする「アスミチ」の立ち上げに貢献し、プロジェクトオーナー(事業責任者)を務めている>

「これまで、野球と共に生きてきました。現役時代は、“野球のない生活”というのが想像つかず、すごく不安だったんですよね」

11年間、日本ハムファイターズ投手として活動した斎藤佑樹さん(36)は、何度もケガに悩まされました。2021年に引退を発表した理由もケガでした。

小学1年生から野球を始めた斎藤さんにとって、野球は日常の一部であり、相棒のような存在でした。

その生活が、引退によって劇的に変わってしまうことに「人生がガラッと変わってしまうのではと思っていました」と振り返ります。

将来に不安を抱く日々を過ごしていましたが、ある時ふと、「野球〝選手〟ではなくなるけれど、野球に携わり続けていくことはできるのでは」という考えが頭に浮かびました。その瞬間、不安が一気になくなったことを鮮明に覚えていると話します。

野球で得た経験をベースに、新たなキャリアを築いていけないか。「自分じゃないとできない野球界への恩返しをしたい」との強い思いが核となりました。

そのためには、企業や組織に所属するのではなく、自分で事業をする方がいいと考えたそうです。

そして、2021年12月に「株式会社斎藤佑樹」を設立。正直、具体的な活動は決まっていませんでしたが、「1人で歩いている姿を見せることによって何か生まれるのでは」という思いだったそうです。

〝ハンカチ王子〟と呼ばれるなど、ほかの選手とは「違う注目のされ方をしてきた」と語る斎藤さん。

「だからこそ、僕なりの野球界の恩返しがあるのではないかと、勝手に自分の中で使命感を抱いていました。その思いは今も変わりません」