元南海投手の宅和本司さん死去 故野村克也さんと同期入団 高卒新人でタイトルを総なめ

AI要約

プロ野球の南海(現ソフトバンク)で1954年に活躍し、タイトルを獲得した宅和本司氏が亡くなった。彼は新人王に選ばれ、その後も南海や近鉄でプレーし、野球界でのキャリアを積んだ。

宅和本司氏は高卒新人として驚異的な成績を残し、野球界にその名を残した。同期入団の野村克也選手とのエピソードも残っている。

宅和本司氏の功績は野球ファンに長く記憶されることでしょう。彼の死は日本の野球界に大きな悲しみをもたらした。

元南海投手の宅和本司さん死去 故野村克也さんと同期入団 高卒新人でタイトルを総なめ

プロ野球の南海(現ソフトバンク)で1954年に最多勝、最優秀防御率、最多奪三振のタイトルを独占し、新人王に選ばれた宅和本司(たくわ・もとじ)氏が4日、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。89歳。葬儀・告別式は既に近親者で営まれた。

宅和さんは福岡・門司東高から54年に南海に入団し、26勝9敗、防御率1・58、275奪三振で新人王、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振とタイトルを総なめにした。パ・リーグの高卒新人最多勝は他に松坂大輔(西武、99年に16勝)しかいない。翌55年も24勝11敗で最多勝、リーグ優勝に貢献した。60年に近鉄に移籍。61年の引退後は野球解説者、台湾プロ野球の指導者などを務めた。通算168試合登板で56勝26敗、防御率2・29。

南海では同じ投手の皆川睦男(2005年死去、山形・米沢西高出身)、捕手の野村克也(20年死去、京都・峰山高出身)と入団同期だったが、1年目に活躍したのは宅和さんだけだった。バッテリーを組んだ野村さんは生前、「とにかく球が速く、カーブがよかった。1年目に宅和からスーツのお下がりをもらい、紳士服店で生地を裏返して仕立て直したものを着て帰省した」と宅和さんとの思い出を語っていた。