能登半島地震の翌日、父から託された輪島塗のバトン 10代目が描く復興ビジョン #令和に働く

AI要約

田谷漆器店は200年以上続く輪島塗メーカーで、2024年の能登半島地震で全壊したが、復興に向けて積極的に活動している。

田谷昂大さんが経営を引き継いだ後、輪島塗のコーヒーカップがバイデン米大統領夫妻に贈られ、新たな展開が進んでいる。

田谷漆器店は輪島塗の販売・流通を担う「塗師屋(ぬしや)」で、職人が専門工程に従事している。

能登半島地震の翌日、父から託された輪島塗のバトン 10代目が描く復興ビジョン #令和に働く

 創業200年超の輪島塗メーカー・田谷漆器店(石川県輪島市)は、2024年元日の能登半島地震で工場や事務所が全壊し、漆器や材料ががれきに埋まりました。震災翌日、父から経営のバトンを託されたのが、10代目の田谷昂大さん(33)です。震災後、自身がプロデュースした輪島塗のコーヒーカップなどが、バイデン米大統領夫妻への贈呈品に選ばれ、クラウドファンディング(CF)の企画、展示会への積極出展、輪島塗の価値を高める新会社創設などを加速させました。6月の地震で工房や店はさらに崩れましたが、跡地に復興の拠点を作ろうと前を向いています。

 輪島塗は製造工程ごとに専門の職人が担当する分業制です。職人は、塗師(ぬりし)、呂色師(ろいろし)、蒔絵師(まきえし)など大きく六つに分かれ、工程は124もあります。田谷漆器店は全工程を取りまとめ、販売・流通を担う「塗師屋」(ぬしや)と呼ばれています。

 創業は1818(文政元)年で、田谷さんの祖父・勤さんが1988年に法人化しました。従業員は約20人で、輪島塗の器や文具、建築内装などを製造販売しています。

 「高校生の時は『輪島塗に未来はない』と言っていたらしいです」。田谷さんは頭をかきます。

 「その時の自分に言ってやりたいですね。『面白いぞ』と」

 田谷さんが大学進学で上京した際、出来合いの器を買ったのが家業の価値に気づくきっかけでした。「その器でみそ汁を飲んでも、おいしく感じなかったのに、実家から持ち帰った輪島塗で試すと味の違いは歴然でした」

 外資系ホテルのアルバイトで外国人と話す機会も多く、「海外に売り込める商材は輪島塗しかない」と、家業に入りました。

 田谷さんは輪島塗の入り口を広げようと、チャレンジを続けました。

 ホームページは読んで楽しい構成に。田谷さんが小学生の遠足に参加したとき、輪島塗の弁当箱に入ったサンドイッチだけが乾燥せず、しっとりしていたというエピソードなども紹介しています。「器に漆を塗るのは理にかなっています。見た目の美しさだけでなく、温度と湿度を保ち、抗菌性があるのです」

 その裏でSEO対策も万全にしました。「輪島塗 老舗」で検索すると、田谷漆器店が最上位に登場します(2024年7月時点)。

 田谷さんは国内外問わず、企業向けのプライベートブランドなどを中心に営業を進めましたが、コロナ禍でいったん立ち止まります。「(発注者に)ぶら下がるだけの企業ではなく、一般のお客様に響く、自社ブランドを作らなければと思いました」

 ほとんどが海外だったエンドユーザーへの販路を国内に戻そうと、田谷さんは2021年7月、金沢市に和食店「CRAFEAT」を開きました。店内では輪島塗などを展示販売し、輪島塗の器に盛られた食事を提供しています。

 2022年10月からは、和食器レンタルサービス「LIFT」も始めました。ユーザーは新品の器を選び、例えば「輪島塗 汁椀」なら初月7483円、2カ月目4424円と料金が下がる仕組みです。5カ月間利用すると、所有権がユーザーに移ります。

 さらに2024年2月には、輪島市の名所「朝市通り」の物件を改修し、朝市で購入した食材を輪島塗の器に盛って食べられる体験型施設も開く予定でした。

 能登半島地震が輪島を襲ったのは、その直前のことでした。