日産のレトロ風パイクカー「Be-1」、遊び心満載で大人気! 新車よりも中古車が高額に!【歴史に残るクルマと技術053】

AI要約

1980年代後半から1990年代にかけて、日産自動車が展開したパイクカーシリーズには、ユニークで個性的なデザインが特徴のクルマが数多く登場した。

日産のパイクカーは、Be-1、パオ、フィガロなど、レトロな雰囲気や特別なコンセプトを持ったクルマが人気を博し、中でもBe-1は即完売となるほどの人気を誇った。

トヨタもパイクカーシリーズの一環として、WiLLシリーズを展開し、近未来的なデザインが特徴のクルマを打ち出した。

日産のレトロ風パイクカー「Be-1」、遊び心満載で大人気! 新車よりも中古車が高額に!【歴史に残るクルマと技術053】

日本がバブル景気に沸いていた1980年代後半から1990年代にかけて、日産自動車はパイクカーシリーズを展開。パイクカーとは、特定のコンセプトを持ったデザインに特化したクルマを指し、その第1弾として1987年にデビューしたのが「Be-1」だ。ミニクーパーのようなレトロな雰囲気のコンパクトカー「Be-1」は、限定販売だったので即完売し、入手困難なモデルとなった。

TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:日産ヘリテージコレクション

●デザインに特化した個性的なデザインのパイクカー

パイクカーの“pike”とは、「槍の剣先」のことで、尖ったクルマというイメージからネーミングされたのであろう。具体的には、レトロ風や先鋭的なスタイリング、あるいは過去の名車を彷彿させるようなデザイン重視のクルマを指す。個性的であるがゆえに、販売台数や販売期間が限定されることが多く、台数を目論んだ一般的な市販車とは異なる、特別なクルマである。

日産のパイクカーは、日本がバブル景気に沸いた1980年代後半~1990年代に登場。当時は、クルマは作れば作るほど売れる時代。高性能モデルや高級モデルが続々と登場した一方で、遊び心満載のクルマも手掛ける余裕があったのだ。

日産のパイクカーは、レトロ風な雰囲気が特徴で、その第1弾として登場したのが、ミニクーパーのようなオシャレなコンパクトカー「Be-1(1987年~)」。そして、Be-1が好評だったことから第2弾としてアドベンチャー感覚あふれるサファリルックが似合いそうな「パオ(1989年~)」、第3弾が懐かしいスポーティなクーペスタイルの「フィガロ(1991年~)」である。

レトロな雰囲気のキュートなデザインで人気を獲得したBe-1

Be-1が初めて披露されたのは、1985年の東京モーターショーだった。ここで大きな注目を集めたことから、日産は市販化することを決断した。

Be-1は、初代「マーチ」のプラットフォームをベースにしながらも、角張ったマーチとはまったく異なる“ノスタルジックモダン”をテーマにした丸みを帯びたフォルムが特徴。フロントフェンダーや前後エプロン部には、新開発の熱可塑性樹脂のフレックスパネルを採用し、インテリアにはニット地のシートや丸形のエアコングリル、ホワイトメーターなどでキュートさをアピールした。

パワートレインは、最高出力52psの1.0L直4 OHCと5速MTおよび3速ATの組み合わせ、さらにボディカラーには、鮮やかなトマトレッド、パンプキンイエロー、オニオンホワイト、ハンドレインジアブルー(紫陽花)の野菜などのモチーフの4種を用意して、多くの若者の心を掴むことに成功した。

車両価格は、129.3万円(5MT)/134.8万円(3AT)、キャンパストップはそれぞれ10万円高。当時の大卒初任給は、15.2万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値では約196万円/204万円に相当する。

かなり高額だが、1万台の限定販売がわずか2ヶ月足らずで完売したため、多くの購入希望者のために増産を実施。新車が購入できなかった人は、プレミアム価格で中古車を求め、一時期中古車市場では新車価格よりも高額な200万円を超える高値で取り引きされ、社会現象にもなった。

Be-1に続いたパオとフィガロ

1989年1月にデビューした第2弾パオは、昔懐かしいサファリを冒険するようなアクティブな雰囲気が特徴。ドアなどのヒンジやビスなどの金属類、ルーフ上のファッションモールや鉄パイプ製のバンパー、開閉式三角窓が装備され、リゾート気分を感じさせてくれるアウトドア派もワクワクするお洒落なコンパクトカーである。

1991年2月にデビューした第3弾フィガロは、曲面を基調にしたパステルカラーのボディと対照的な白いルーフで、昔のフランス映画に出てきそうなお洒落なクーペ。インテリアもレトロ調で統一され、シートは本革仕様が標準装備で、メーターやスイッチ類も優雅でクラシカルに仕上げられた。人気ドラマ「相棒」の主人公の杉下右京(水谷豊)の愛車として使われたり、「せっかくグルメ」で人気コメディアンの日村勇紀の移動車として、黄色のフィガロが番組内で登場、“あの可愛いクルマは何!”と評判になった。

Be-1が限定販売であっという間に完売したことから、パオは受注期間限定、フィガロは2万台を何回かに分けて抽選で販売する方式に変更、3台ともそれほど人気があったのだ。

車両価格は、パオが138.5万円(5MT)/144.0万円(3AT)、キャンパストップはそれぞれ10万円高。フィガロは、3ATのみで、やや高額な187万円だった。

トヨタのパイクカー“WiLLシリーズ”は、異業種プロジェクトから生まれた

日産のパイクカーがレトロ調だったのに対し、トヨタのパイクカーは近未来的な雰囲気が特徴だった。そのために、トヨタは花王や松下電器、アサヒビール、近畿日本ツーリストと共同で、20代~30代の若い層をターゲットにした魅力的な商品開発を行なうプロジェクトを立ち上げた。

そこで企画された新しいクルマづくり“WiLLシリーズ”の第1弾が「WiLL Vi」、第2弾「WiLL VS」、第3弾が「WiLL CYPHA(サファイヤ)」である。

「WiLL Vi(2000年~)」は、若い女性をターゲットにしたシンデレラに登場するカメルヘンチックなボチャの馬車をイメージ。若い男性をターゲットにステレス戦闘機をイメージしたスパルタンなフォルムの「WiLL VS(2001年~)」。トヨタG-BOOK対応ナビなどの通信システムを駆使して近未来性をアピールしたハイテク技術を搭載した「WiLL CYPHA(2002年)」の3台である。

日産のパイクカーほど話題にならなかったが、カボチャの馬車風の「Will Vi」は、街角でよく見かけた。

Be-1が誕生した1987年は、どんな年

1987年には、Be-1の他にスズキの「アルトワークス」も登場した。

アルトワークスは、軽ながらインタークーラー付DOHCターボエンジンを搭載し、最高出力64psの“リトルモンスター”と呼ばれ、現在も続く軽自動車の最高出力自主規制値64psのキッカケとなったホットハッチだ。

自動車以外では、米国ニューヨーク株式市場が大暴落(ブラックマンデー)、国鉄が分割民営化(JRグループ発足)、利根川進氏がノーベル生理学・医学賞受賞、大ヒット作「サラダ記念日(俵万智))と「ノルウェイの森(村上春樹)」が発刊された。

また、ガソリン126円/L、ビール大瓶314円、コーヒー一杯308円、ラーメン408円、カレー540円、アンパン94円の時代だった。

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高性能・高機能モデルが市場を席巻したバブル期に、まるで時流に逆らうようなレトロな雰囲気で登場したBe-1。日本にノスタルジックなパイクカーブームを巻き起こした、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。