ポルシェ928似のヘッドライト 知られざるフィアット125 ヴィニャーレ・サマンサ(2) シャシー技術の高さへ驚く

AI要約

1960年代、イタリアのカロッツエリア、ヴィニャーレ社が自動車メーカー向けの少量生産モデルを製造していたが、経営が悪化し、創業者が亡くなった。

資金繰りが悪化したヴィニャーレ社は、フリクソス・デメトリウ氏に買収されたが、彼も事業を撤退。その後、フィアットの輸入車が売り残されたが、デメトリウ氏も急逝。

その後、ヴィニャーレ社製のサマンサ車は、27台しか売れず、現在はコレクターが所有している。初代オーナーはカナダの女優リンダ・ソーソン氏で、車はホワイトに塗り替えられている。

ポルシェ928似のヘッドライト 知られざるフィアット125 ヴィニャーレ・サマンサ(2) シャシー技術の高さへ驚く

1960年代に入ると、大手の自動車メーカーは少量生産モデルも自社製造へ切り替え、イタリアのカロッツエリア、ヴィニャーレ社は穴を埋めることへ必死だった。独自ブランドラインのモデルは生産コストがかさみ、収益性が良いわけではなかった。

1967年には、フィアットのバンをハイルーフ化するなど、1日に25台をラインオフするまで成長していた。だが、ヴィニャーレ社は資金繰りが悪化していく。

創業者のアルフレッド・ヴィニャーレ氏は、1969年に自社株の90%をアレハンドロ・デ・トマソ氏へ売却。社長としての座を守ろうとした。ところがその数日後、彼は交通事故でこの世を去ってしまう。

英国へフィアット125 ヴィニャーレ・サマンサを輸入していたフリクソス・デメトリウ氏も、1969年にカービジネスから撤退。複数のイタリア車を合計800台輸入したが、自身のカジノの営業ライセンスが更新され、事業多様化の重要性は縮小していた。

1970年に、フリクソスは売れ残ったフィアットたちをキプロス島へ輸送。温暖な気候はクルマに優しかったが、彼はその直後に命を落としている。

英国で売れたサマンサは、27台のみ。合計何台が生産されたのか明らかではないが、ヴィニャーレ社は1日に6台をラインオフしていた時期もあったようだ。そのペースが事実なら、数100台が作られていても不思議ではない。

今回ご登場願ったホワイトのサマンサは、カーコレクターのダレン・カニンガム氏が現オーナー。彼は他に3台所有しているというが、レストア中だそうだ。初代オーナーは、カナダの女優、リンダ・ソーソン氏だった。

現在76歳のリンダが乗っていたのは、20代の頃。自ら購入したのか、フィアット・ヴィニャーレ・ガミーネの広告に出ていた報酬の一部として、贈られたのかはわからない。

彼女は、ハリウッドへ移住するまでの1年半ほどを、一緒に過ごしている。恐らく、気に入っていたはずだ。

オリジナルの塗装色はシャンパン・ゴールドだったものの、後のオーナーによって塗り替えられている。レストアを決めた際、当初の塗料との調色が難しく、ホワイトが選ばれたようだ。

このオーナーは、16万km以上も走行距離を増やした。それまでに、ボディやシャシーは劣化が進んでしまったらしい。現在は、適度にヤレた感じがいい味を出している。

近づいて観察すると、サマンサの佇まいは悪くない。スタイリングを描き出したのは、ヴァージニオ・ヴァイロ氏というデザイナー。一部では彼は製図が専門だったという情報もあるが、才能があったことは間違いないだろう。

サイドシルはブラック・アウトされ、ベルトラインより下の肉厚さを巧みに誤魔化している。ホイールは当時物のクロモドラ・アルミ。大きめのホイールアーチを、綺麗に満たしている。純正は、ホイールキャップ付きのスチール・ホイールだった。