「サラリーマン訓練」から「生き神」北野武の自宅まで… 凄腕案内人が導く“私的で内密”な東京

AI要約

旅行代理店「ŌHARA-JUKU」がユニークな体験を提供するために奔走する記事。世界的建築家隈研吾と彫刻家MADARA MANJIの作品や考え方が紹介される。さらに、記事の主要人物である「ŌHARA-JUKU」の創業者である大原邦久のビジョンも紹介されている。

隈研吾の建築におけるコンセプトや都市空間へのアプローチ、MADARA MANJIの芸術に対する個性的な考え方、そして大原邦久の旅行を「第8の芸術」と位置付ける独自の視点などが描かれている。

各人物の独自性や独創性、そして日本ならではの繊細な美意識や芸術へのアプローチが、記事全体に絡み合って描かれている。

「サラリーマン訓練」から「生き神」北野武の自宅まで… 凄腕案内人が導く“私的で内密”な東京

その旅行代理店は、「不可能なことでも提供する」という。フランス誌「フィガロ・マガジン」の記者がその実力を目の当たりにした。彼らが訪れた場所、それは墨田区の「聖域」相撲部屋や、浅草の地下にある占い館だけではない。

「東京にカオスをもたらしたい」──完璧な英語でそう話す男の顔には、長年のキャリアを感じさせる皺が刻まれていた。世界的スター建築家、隈研吾(69)は穏やかに語る。パリにある故高田賢三の自邸の改装を手がけたのも彼、東京の国立競技場も、大成建設、梓設計と組んだ彼の仕事である。

青山にある隈の事務所は、いたるところに図面台が置かれ、構想の過程を示す殴り書きのクロッキーが散乱している。この創造的無秩序にほっとさせられる。もっとも偉大な建築家であっても、消しゴムと鉛筆を使うのだ。

「江戸時代、日本の建物はすべて木造建築で、高さは3m以内、狭い道は徒歩にちょうどよく、人々が交じり合って一緒に生活していました。ですが、いまではどの街もニューヨークや上海のようです。大企業のビルが、東京という街の親密さを破壊してしまったのです」

都市空間に心地よさを取り入れるためとなれば、ことの大小を問わず、隈の関心はすべてに及ぶ。たとえば、吉祥寺ハモニカ横丁の小さなバーや、渋谷の公衆トイレは、「狭さの美を際立たせる」という彼の挑戦である。

「自然の秩序を回復するためには、古くからの素材を用い、ギリシアの数学的教えを乗り越えるだけでは不充分です。植物や樹々の“文明化されていない”偶然性だけが、空間を広げるのです」

翌朝、雰囲気はがらりと変わっていた。一晩中雪が降り、品川の歩道は芸者のおしろいのようである。MADARA MANJI(まだら・まんじ)のアトリエの気温は約5度。旧ソ連軍放出品のファーコートにくるまった35歳の彫刻家にとっては、何の問題もない。部屋はかなり狭く、壁には『VORTEX』、『EXPLOSION』など彼の展覧会のポスターが貼られている。

創造の中心、レンガに囲まれた火床に近づくには、不安定な本の山を跨がなければならない。おかっぱ頭で鋭い目つきをしたMADARAはコートを脱ぎ、トーチに火を灯す。部屋の温度はすぐに上昇した。

この炎と光のゆらぎから、小さな立方体が生まれる。この立方体には銀と銅の石目が入っており、驚くほど軽い。カオスが一つの星を産み出す。

「自分は日本社会の規則に合っていないといつも感じていました。子供時代は動物たちと過ごし、本能で動くことを教えてくれたのは動物たちです。貴重な金属が埋め込まれたこの立方体は、体験、感情を積み重ね、鎧に閉じ込められた人間なのです」

父は教師で、母は主婦。両親は彼を大学に行かせようとしたが、MADARAはそれを“回避”した。隈研吾と同様に、行儀の良い東京を破壊しようと決心してのことである。

正反対にも見えるこの二人だが、同じ芸術を実践している。「回避(かわすこと)」と「サイドステップ(すり抜けること)」の芸術である。神出鬼没で、隙間に自由を見出すこと。決してすべてを明かさないこと──日本ならではのものである。

隈研吾とMADARA MANJIに近づくことは簡単なことではない。一方は世界に身を隠し、他方は世界から逃げる。

ある男がこの記事のなかで両者を結びつけた。大原邦久(おおはら・くにひさ)である。医者の父とオペラ歌手の母を持つ彼は、旅行代理店「ŌHARA-JUKU」の創業者であり、完璧なフランス語を話し、特別な没入体験を提供することを発案した。

「旅行は第8の芸術であると考えています。まず、シナリオを練り上げ、場所と登場人物を選びます。そして、俳優──つまりあなたを招き入れます」

それではここで、私的で内密な東京を紹介しよう。