親孝行はして当然? タイで増す子の負担

AI要約

タイの高齢者に通院の付き添いサービスを提供する「ジョイライド」の創業者、ナッタカン・デワニチャコーンさんが、家族の役割をサービスで支える取り組みをしている。

ジョイライドは、家族観の変遷や需要の増加に応じたサービス内容を提供し、親孝行や恩返しの文化を支える一翼を担っている。

伝統的な価値観と現代社会の変化が交錯する中、ジョイライドのようなサービスが家族の絆を支える重要な役割を果たしている。

親孝行はして当然? タイで増す子の負担

 髪に大きな花飾りを付けた女性が部屋に入ってくると、途端に雰囲気がぱっと明るくなった。バンコクで高齢者に通院の付き添いサービスを提供する「ジョイライド」の創業者、ナッタカン・デワニチャコーンさん(42)だ。

 人混みの病院の待合でも利用者が見つけやすいようにと派手な造花を付け始めたのが、いつしかトレードマークになった。「ジョイ(喜び)」という愛称がぴったりの朗らかな女性で、起業家としてもやり手だ。

 少子高齢化が進むタイでは、子は親に尽くすべきだという伝統的価値観と現代的な家族のあり方にひずみが出始めている。ジョイさんは、この隙間(すきま)をサービスで埋めようとしている。

 ◇深く根付く恩返し

 「育ててもらった恩を親に返すのは当然で、言葉ではなく行動で示すことが大切だと思います」。こう話してくれたのは、学校帰りにショッピングを楽しんでいた大学生の2人組だ。別の高校生グループにも尋ねてみたが「働くようになったら必ず親に尽くします」と口をそろえた。驚くほどに親孝行に前向きだ。

 彼女らの会話で何度も出てきたのが「ガタンユー」という言葉だ。日本語にすれば「親孝行」や「恩に報いる」といった意味で、タイの人たちの意識に深く根付いている。

 仏教国らしく動画投稿サイトには僧侶が子供向けに説教をする動画もあるが、そこでも「親を大切にしましょう」「親孝行は自らすすんで行いましょう」といった言葉が繰り返される。学校でも習うといい、親を敬うよう小さいころから教えられるそうだ。

 ◇できない罪悪感も

 こうした価値観から介護も家庭でという意識が強く、親の通院に付き添うのは当然、子の役割ということになる。ただ、そういうわけにもいかないのが現代社会だ。離れて暮らしている、仕事を休めないといった事情がある。少子化が進んでいるので子にかかる負担も重い。そこに目を付けたのが、ライドシェアと介助を掛け合わせたジョイライドだ。

 基本的なサービス内容はこうだ。スマートフォンの通信アプリを通じて依頼を受けると、スタッフが自家用車で利用者の自宅まで迎えに行き、病院まで送り届ける。診察までの長い待ち時間も一緒に過ごし、希望があれば医師からの説明なども隣で聞き、後で家族に伝える。病院帰りに外食したり、買い物に付き合ったりもする。付き添い中の行動は逐一、依頼者でもある家族のスマホに写真付きで報告されるので、安心して任せられる。

 「病院への送迎だけならタクシーもある。でも、それでは親孝行したいという気持ちを満足させず、罪悪感も解消できないのです」。ジョイさんは、利用者が増えている理由をこう説明する。

 2021年に個人でサービスを始め、当初は月20件の予約が入ればいい方だったが、今では10倍ほどになり、スタッフも増えた。依頼の7割が高齢者の家族からで、ほとんどがリピーターになる。

 ジョイさんが受けた最初の依頼は、新型コロナウイルスで入院していた高齢の父親を自宅に連れ帰ってほしいという娘からだった。防護服も入手困難な時でレインウエアを着て隔離施設に向かった。

 さぞ大変な任務だったかと思いきや「最初はコロナが怖くて緊張していたんだけど……。途中から車内カラオケ大会になったんです」と、楽しそうに振り返る。沈んだ様子の父親を元気づけようと歌ったら、思いのほか盛り上がったらしい。明るい雰囲気のまま家族の元に送り届けられたことが原点になった。

 利用者の中には、近くに頼れる親類がいない出産間近のシングルマザーや、高齢の親に心配はかけたくないけれど一人では心細いと手術の立ち会いを依頼してきた独身女性もいた。「家族の形が変わってきていると実感します。付き合いの薄い叔母の面倒を自分で見るほどではないけれど放置もできないから、という人もいました」とジョイさん。家族の役割を金銭で解決しているという見方もできる。

 ◇家族観は変化しているのか

 こうしたサービスを「ガタンユーのアウトソーシング」と解説するのは、博報堂生活総合研究所アセアンの伊藤祐子所長だ。バンコクに拠点を置く研究所は、タイ、インドネシア、ベトナム、フィリピン、マレーシア、シンガポールの6カ国で暮らす人々を対象に継続して意識調査を行っている。

 今年7月に発表した家族観の変遷に関する報告書によると、タイでは今も5割以上が「ガタンユーな人はいい人だと思う」と回答。「自分の欲求を犠牲にしてでも家族を大事にする」という人が6カ国で比較的多かった。伝統的価値観が健在な一方で、親孝行を代行に頼ったり、内容が金銭をかけることから一緒に旅行などすることに変化したりしているという。一人っ子だから支えきれないという場合もあれば、新型コロナや景気低迷の影響で支出を抑えたい人もいるそうだ。

 この10年で6カ国とも経済力は伸びたが、出生率や婚姻率は減少傾向にある。家族よりも仕事重視といった価値観や、自分に時間を使いたいという欲求も強まっている。とはいえ、調査では8割以上が「家族を幸せにすることが人生で最も重要な責務だ」という考えに賛同した。

 伊藤さんは「社会システムの弱さもあって、こうした家族観は生存戦略でもあり、家族で支え合うことが経済的、精神的なセーフティーネットになっているのです」と指摘する。確かにガタンユーも支え合いの順送りといえる。子でいるうちは親を支え、親になれば子が助けてくれる――。少子化が進めば、ここからこぼれ落ちる人も出てくる。ジョイライドのようなサービスがますます求められそうだ。【アジア総局長・武内彩】