イスラエルとパレスチナの「記念式典への招待」をめぐる「広島市」「長崎市」の対応の違いが浮き彫りにした「日本外交の岐路」

AI要約

広島市と長崎市の平和祈念式典において、招待国の選択に違いが見られ、国際社会の混乱を反映している。

広島市はイスラエルを招待し、長崎市はパレスチナを招待したことで波紋を呼び、安倍政権との関連性も示唆されている。

オバマ大統領の訪問成功などを経て、2016年の広島市は一定の国際的信頼を築いたが、2023年のG7広島サミットでは異なる意味を持つ展開となった。

イスラエルとパレスチナの「記念式典への招待」をめぐる「広島市」「長崎市」の対応の違いが浮き彫りにした「日本外交の岐路」

8月6日の広島市の平和記念式典と8月9日の長崎市の平和祈念式典に、大きな差が出た。広島市は、イスラエルを招待したうえで、パレスチナを招待しなかった。長崎市は、パレスチナを招待したうえで、イスラエルを招待しなかった。

広島市も長崎市も、2022年以来、ロシアとベラルーシを招待していない。これはロシアとベラルーシには欧米諸国とともに制裁を科している日本政府の姿勢に同調したものであった。その時と同じ松井一實市長の体制にある広島市は、イスラエルの行為には基本的に沈黙を貫いている日本政府の姿勢に同調し、イスラエルを招待した。パレスチナは、日本政府が国家承認していないことを理由に、招待しなかった。

他方、2023年に市長に就任した長崎市の鈴木史朗市長は、イスラエルの招待を見合わせた。そのため、エマニュエル駐日米国大使やロングボトム駐日英国大使らも式典を欠席することになったことが、波紋を呼んだ。なお長崎市は、パレスチナは招待した。

この二つの式典をめぐる喧騒は、現在の国際社会の混乱を反映したものであり、同時に、だからこそ、日本外交の現在の課題を示すものだとも言える。

松井一實広島市長は、岸田文雄首相が自民党の広島県支部連合会長であったときに立候補を要請して、霞が関のキャリア官僚から市長に転身した人物である。同じように霞が関から転身した湯崎英彦広島県知事とともに、中央政府に協調する広島を、過去10年以上にわたって演出してきた。

その絶頂は、2016年のオバマ米国大統領の広島訪問であったと言える。米国大統領の初の広島訪問は、米国側に「謝罪要求をされるのではないか」という懸念があった。それを、安倍政権側が「絶対に大丈夫だ」と説得をした。結果として訪問が大成功となったため、日米同盟の精神的紐帯が高い次元に到達した、と言われた。

その安倍首相の自信の背景には、岸田外相が広島1区を選挙区としている事実があったと言える。オバマ大統領の広島訪問は、安倍氏が岸田氏を外相に任命したときから始まっていた事業であった。その岸田氏にとっては、松井広島市長と湯崎広島県知事が、自らが野党時代に口説いて中央官庁からリクルートしてきた人物たちである、という事実が大きかった。

ただ日米の高次の相互信頼を達成したオバマ大統領訪問に比して、その延長線上にあると言える2023年G7広島サミットは、いささか異なる意味を持った。岸田=松井=湯崎体制は、相変わらず盤石であった。しかしG7広島サミットは、普遍主義を標榜するものというよりも、ロシアを非難し、ロシアに対抗するG7の結束、そしてG7の友好関係諸国の拡張を狙ったものだった。国際社会の「法の支配」を標榜しようとする努力はあったが、なぜそれが広島なのか、については、整理がなされないままだった。

インド、ブラジル、インドネシアなどの有力国が参加したが、岸田首相はそれらの諸国を「グローバル・サウス」といった十把一絡げの概念の中に入れ込んで扱っただけだった。岸田首相はむしろNATO加入を国是とするウクライナのゼレンスキー大統領に対して特別な歓待をした。

岸田内閣を通じて、米国およびその同盟諸国との軍事面を中心とした連携は進んできている。しかし非欧米諸国との連携については、援助額の繰り返しの表明にかかわらず、進展が見られたとは言えない。松井市長の広島の位置づけも、その路線に協調した枠組みの中にある。

松井市長は、イスラエルを招待すると同時に、その反対運動の高まりを見越して、平和記念式典中の市民立ち入り禁止区域を拡大させるなどして、対抗した。