中国は「もし、この男が殺されなかったら」激変していた…中国・台湾史に名を刻む「蒋介石と孫文をつないだ男」

AI要約

中国革命家陳其美の孫である陳澤禎氏の魅力的な人生に迫る。

陳澤禎氏は日本留学から台湾報の東京特派員になり、パン屋を開業するも閉店し、現在は悠々自適な生活を送っている。

彼の祖父である陳其美の日本留学と中国革命への貢献、その後の蒋介石と孫文との関わりも明らかにされる。

中国は「もし、この男が殺されなかったら」激変していた…中国・台湾史に名を刻む「蒋介石と孫文をつないだ男」

この方からの電話は、いつも突然やって来る。

「いま日本に遊びに来たから、明日の晩、旨い台湾料理を一緒に食べよう」

台湾人・陳澤禎(ちん・たくてい)――この名前を聞いて分かる人は、相当な中国通だ。

清朝末期の1906年、浙江省の28歳の青年・陳其美(ちん・きび)が日本へ留学にやって来た。そこで同様に日本に留学に来ていた同郷の蒋介石を子分にし、革命家の孫文に紹介する。

1911年の辛亥革命とその後の展開は、この3者の人間模様に彩られた。

「もしも祖父が長生きしてたら、中国現代史は変わっていたはずさ。祖父は、自分にもしものことがあったら蒋介石を取り立ててやってほしいと、孫文らに言い遺していた。それで蒋は出世できた。

祖父が(1916年に)袁世凱一派に暗殺されたのも、上海の支援者・山田純三郎宅だった。我が家はつくづく日本に縁があるよね」

飲茶を抓(つま)みながら、陳澤禎氏がつぶやく。そう、彼は陳其美の孫なのだ。

澤禎氏も早稲田大学に留学し、台湾『聯合報』東京特派員を長く務めた。21世紀に入ると、北京に渡って日本大使館前でパン屋を開き成功。日本語表示の「プリン」を「プーチン」と誤記するなど、ユニークな店だった。

2017年に店を畳んでからは、台湾で悠々自適だ。

「オレはもう79歳。いまは童心に還って、これが愛読書さ」

喜々としてポケットから取り出したのは、コミック文庫版の『ゲゲゲの鬼太郎』だった。

「週刊現代」2024年8月3日号より