知ってはいけない、世界の《残酷な常識》日本人は気付かない、ゼレンスキー英雄説の「危ない実態」…専門家が警告

AI要約

ウクライナはかつて「小ロシア」と呼ばれており、独立後は貧困率と汚職に苦しんでいたが、ロシアとの戦争により国家としてのまとまりが実現した。

ウクライナの政治体制は侵攻前は腐敗しており、国際社会から非難を受けていたが、戦争を通じて国民がまとまり始め、ゼレンスキーも変化を遂げた。

現在のウクライナ情勢とロシアの侵攻について、川口マーン惠美氏と福井義高氏が考察している。

知ってはいけない、世界の《残酷な常識》日本人は気付かない、ゼレンスキー英雄説の「危ない実態」…専門家が警告

かつては「小ロシア」と呼ばれていたウクライナだが、ソ連から独立した後は、高い貧困率と政権の深刻な汚職体質に苦しんでいた。ところが皮肉にもロシアとの戦争で初めて国家としてのまとまりが実現した。

ロシアがウクライナに侵攻する前、ウクライナの政治体制は腐敗していて、国際社会から非難されていた。

ゼレンスキーも今のような「英雄」などではなく、国内はもとより海外からも厳しく批判される“貧しい国”の大統領だった。だが、大国ロシアの侵攻を受けて、国民はまとまり、ゼレンスキー自身も大きく変わっていった。

そんな、ウクライナという国とロシアの侵攻について、ドイツ在住のベストセラー作家・川口マーン惠美氏と青山学院大学教授・福井義高氏が語り合う。

※本記事は、『優しい日本人が気づかない 残酷な世界の本音―移民・難民で苦しむ欧州から、宇露戦争、ハマス奇襲まで』より一部を抜粋編集したものです。

福井義高(以下福井):ウクライナ戦争に関するメディアの報道はあまりに単純な図式に基づいています。プーチン・ロシア=悪、ゼレンスキー・ウクライナ=善とか、権威主義あるいは独裁国家vs.民主国家といったように。

しかし、ウクライナはかつては「小ロシア」と呼ばれ、帝政時代はロシアの一部とみなされていたし、近代以降、第一次大戦の混乱期を除いてソ連崩壊までロシアと別の国になったことはありません。

2014年にウラジーミル・プーチンが奪ったとされるクリミア半島にしても、1954年、同半島をニキタ・フルシチョフがソ連を構成する15の共和国のなかでロシアからウクライナへ帰属替えしたことが禍根を残したわけですが、日本でいうと熱海を静岡県から神奈川県に移したくらいの感覚です。そもそも同じ国だったわけですから。

独立し別の国となった後も、ウクライナは貧しいうえ、政権が腐敗していたため仕事を求めロシア、ドイツ、ポーランドなどに働きに出る人が多く、このままでは国として持たないとさえ言われていました。

その出稼ぎ労働者の多さから「移民津波」と評されたほど。皮肉にもウクライナ戦争により、初めて国家としてのまとまりが実現したような国です。

戦争が始まる直前の2021年末まで、その腐敗した政治体制は国際社会から非難を受けていたし、大統領のウォロディミル・ゼレンスキーは今のような英雄などではなく、国の内外から厳しく批判されていました。そのようなウクライナを日米欧と同じ民主陣営に位置づけるのは無理があります。

川口マーン惠美(以下川口):特にドイツをはじめ西欧では、かなりの言論弾圧を民主主義と言いくるめて、次第に全体主義に向かっている気がして仕方がありません。

だから、政治家とメディアが「ゼレンスキーを支援しなければならない」と言うと、国民は一気にそれを信じてしまう。日本も同じです。その点、むしろかつてソ連の軛(くびき)の下で、自らも共産主義体制を布いた東欧諸国のほうが敏感で、現在のEUの全体主義化に警鐘を鳴らしています。