まもなく米国中心vs.BRICS主導の「南北冷戦」が始まる…!そして日本は「脱欧入亜すべき」と言える理由

AI要約

第1次冷戦での東西対立について振り返ると、独ソ戦後に英ソ軍事同盟が結成された背景やポツダム宣言から始まる対立構造、そして朝鮮戦争を通じて東西冷戦が決定的なものとなったことが記されている。

さらに、ベルリンの壁の建設やチャーチルの「鉄のカーテン」演説など、東西対立が顕在化する過程も述べられている。

最後に、現代でも南北対立として続く情勢について言及し、BRICSとG7が主要な勢力として浮上している点が強調されている。

まもなく米国中心vs.BRICS主導の「南北冷戦」が始まる…!そして日本は「脱欧入亜すべき」と言える理由

それぞれソ連と米国を中心とする「東西」に分かれて対立した、「東西(第1次)冷戦」を振り返ってみよう。

まず、1941年6月22日、独ソ不可侵条約を破ってドイツがソ連に大規模侵攻を行った結果、独ソ戦が始まった。それを受け、7月22日に「英ソ軍事同盟」が結ばれた。

独ソ戦の当時者であったソ連はもちろんのこと、1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことに伴い宣戦布告した英国にとっても、ナチスドイツは敵であった。つまり「敵の敵は味方」という論理で両者が結びついたのだ。

1940年5月10日にはウィンストン・チャーチルが首相に就任しているから、「英ソ軍事同盟」は「反共主義者」として有名なチャーチルが締結したわけである。この同盟がソ連を含む連合国の勝利に結びついたから英断だとは言えるが、それほど英国が追い込まれていたといえる。

もちろん、このような「目の前の問題」を解決するための同盟が、「根深いイデオロギー的対立」を解消したわけではなかった。

1945年7月26日のポツダム宣言は英国、 米国、中華民国の政府首脳(つまり、チャーチル、ルーズベルト、蔣介石)の連名によって日本に発せられた。共産主義中国が建国される以前なので、資本主義国家の連合による宣言である。

共産主義のソビエト連邦(スターリン)は後から追認しているが、すでに1945年5月7日に「共通の敵」であったナチスドイツが降伏している。「敵の敵は味方」という理由で「水と油の資本主義国家と共産主義国家」が結びつく理由はポツダム宣言当時すでに失われていたといえよう。

そのため、「東西冷戦」は第2次世界大戦末期からすでに始まっていたとも言われる。しかし、東西対立の構造を明らかにしたのは、1946年のチャーチルによる「鉄のカーテン」演説であろう。この演説でチャーチルはソ連および共産圏を名指しで非難した。

1950年からの「朝鮮戦争」はこの「東西対立」が具現化したものといえる。これによって東西冷戦構造が決定的になった。

そして、1961年にはベルリンの壁が建設され、「鉄のカーテン」どころか、(万里の長城ならぬ)「石の壁」で東西が分断されることになる。

かつての「東西冷戦」同様、これからは「南北(冷戦)」が世界情勢を読み解くカギになるであろう。

6月9日公開「ついに世界の覇権移動が始まった…!『ジャイアン』アメリカを恐れず、いまBRICSが急速に拡大している『衝撃の理由』」、昨年9月6日公開「サウジアラビア・イラン参加『本当の衝撃』…エネルギー覇権を握る『拡大BRICS』中心で、世界は『脱欧米』に向かう」などで述べた(拡大)BRICSとG7がその「南北対立」の中心軸となるはずだ。

戦いの主役は政治思想(イデオロギー)、軍事力から、金融・経済・先端技術へ移り変わりつつある。また、(拡大)BRICSはイスラム、共産主義、資本主義などが混在していることに注目すべきだ。