イタリア・サルデーニャの浜辺に「平和の少女像」登場

AI要約

サルデーニャ島に設置される「平和の少女像」の碑文には、日本の第2次世界大戦時の戦争犯罪に対する責任が明記される。

イタリアのスティンティーノ市が提供した公共敷地に位置する「平和の少女像」は、世界市民の記憶と連帯を象徴するものである。

少女像が設置される経緯や、日本政府による世界各地の少女像の撤去に対する圧力についても言及されている。

イタリア・サルデーニャの浜辺に「平和の少女像」登場

 地中海を臨むイタリアのサルデーニャ島の浜辺に「平和の少女像」(以下、少女像)が設置される。日本政府の圧力によって世界各地の少女像が撤去の脅威を受けているなか、今回設置される少女像の碑文には、第2次世界大戦時に日本が女性を相手に犯した犯罪に対する責任を明確に問う文言が含められる。

 「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)は22日(現地時間)にサルデーニャ島のスティンティーノに少女像を立てる予定だと、19日明らかにした。少女像はスティンティーノ市が提供した公共敷地に位置することになる。スティンティーノ市庁から200メートルほど離れた浜辺にあるこの敷地は、毎年欧州と米国から来る観光客で混みあう場所でもある。スティンティーノ市は22日午前11時(韓国時間夕方7時)に除幕式を開催し、リタ・バレベッラ市長はサルデーニャ島の議会で活動中の女性市長を全員招待した。イタリア現地の合唱団が歌う「アリラン」の公演も予定されている。

 少女像が公共の敷地に設置されるのは、2020年9月にドイツ・ベルリンに立てられた少女像以来、2体目。正義連は「少女像の撤去のための日本政府による全方向的な圧力が続いている今、スティンティーノ市に少女像が建設されるのは、平和と人権のための世界市民の記憶と連帯が堅固だということ」だと明らかにした。

 イタリアに立てられるこの少女像は、碑文を通じて、日本政府が「慰安婦」問題を回避して歴史を伝えようとする試みを妨害している問題も指摘した。「第2次世界大戦時、日本はアジア・太平洋地域で数多くの少女と女性を強制的に拉致して軍隊の性的奴隷にするなど、ホロコーストに劣らない極悪非道な反倫理的犯罪を犯した」として、「日本政府が引き続き『慰安婦』の存在を否定し、ドイツやフィリピンなどの様々な国で平和の少女像を撤去しようとする試みを進めているのは、非常に遺憾なことだ」と書いた。

 さらに、「日本は女性と人類に対する戦争犯罪を責任感を持って認め、そのような残虐な行為を記憶する正しい措置を取らなければならない」と明記した。少女像の碑文は設置した地域ごとに内容が少しずつ違うが、スティンティーノ市は最初に日本の責任を強調した内容を書いたのだ。

 正義連のイ・ナヨン理事長はハンギョレに「各国に設置された少女像の碑文には、日本に関する表現を修正した事例もたびたびあったが、普遍的な女性の人権問題として『慰安婦』問題をみるイタリアの少女像は、現在の日本の態度も指摘している」と述べた。

 今回の少女像の設置は、イタリア市民とスティンティーノ市の努力が結びついた結果だ。日本軍「慰安婦」被害の歴史に接したスティンティーノ市民のロサ・マリアさんが、古くからの友人で女性人権弁護士出身のリタ・バレベッラ市長にこの問題を伝え、少女像設置の議論が進んだ。その後、正義連が昨年12月に少女像の建設を提案する公文書をスティンティーノ市に正式に発送し、少女像を寄付する意向を表明し、1カ月ほど後の今年1月、市議会がこれを受け入れる決議案を通過させた。その後、市は4月、イタリアの州政府文化財庁で少女像の登録手続きまで終えて、正式に少女像をイタリアに持ってくることが可能になった。バレベッラ市長は18日(現地時間)、地元新聞の「ラ・ヌオバ・サルデーニャ」に「平時と戦時ともに、女性に対する犯罪に対抗して戦う普遍的な象徴になってくれる少女像を歓迎することになり、誇りに思う」と述べた。

 これまで世界各地に設置された少女像や「慰安婦」慰霊碑、平和碑などは30基ほどになる。少女像は2013年に米国カリフォルニア州のグレンデール市立公園の公共図書館前への設置を皮切りに、海外でも立てられ始めた。サルデーニャ島の少女像は海外に設置された少女像として14体目だ。しかし、日本の政府と大使館の組織的な妨害によって世界各国に立てられた少女像が撤去される状況は続いている。2018年12月28日にフィリピンのサンペドロ市の「女性の家」に設置した少女像は、日本の外交的圧力でわずか2日で撤去された

 ドイツでは、少女像の設置を主導した市民団体「ドイツコリア協議会」を中心に、撤去の脅しに対抗して少女像を守る活動の最中だ。2022年7月にドイツのカッセル大学の学生会が校内に設置した少女像「ヌジン」は、日本政府の圧力で昨年3月に大学によって「奇襲撤去」された。これに対して学生とドイツコリア協議会は、ヌジンを元の場所に戻すために署名運動を進め、それに参加した5800人ほどの署名を18日にカッセル大学学長に渡した。

 2020年9月、ベルリンの中心地であるミッテ区に設置された少女像も、同じく撤去の恐れが強い。ベルリン地域議会の議員はミッテ区庁に少女像の永久存続を求める決議案を17日に提出したが、可決されても法的拘束力はない。ドイツコリア協議会は8月までに少女像の撤去に反対するミッテ区の住民1000人の署名を集めて区に渡す予定だ。ドイツコリア協議会のハン・ジョンファ代表は「国外で少女像は、『慰安婦』問題によって拡張された戦時性暴行問題や移民に対する人種差別など、様々な痛みを交わす求心点の役割を果たしている」と訴えたが、場所を守れるかどうかはわからない状況だ。

チャン・イェジ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )