世界を変えたノルマンディー上陸作戦、ちょうど80年前の「史上最大の作戦」を振り返る

AI要約

1944年6月6日、連合軍がナチスドイツからヨーロッパを解放するためのノルマンディー上陸作戦が開始された。

作戦には約16万人の兵士が参加し、準備に数ヶ月を要した。

作戦により多くの犠牲者が出たが、最終的に連合軍の勝利が勝ち取られ、フランス軍がパリで凱旋門前で凱旋パレードを行った。

世界を変えたノルマンディー上陸作戦、ちょうど80年前の「史上最大の作戦」を振り返る

 今からちょうど80年前の1944年6月6日、米・英・カナダの連合軍はナチスドイツからヨーロッパを解放するという困難な任務を開始した。ノルマンディー上陸作戦だ。この作戦が開始された日は「Dデイ」とも呼ばれている。

 占領下のフランス、ノルマンディーの海岸の5カ所から約16万人の兵士が上陸する「史上最大の作戦」は、何カ月にもおよぶ準備を経て実施された。その間、数十万人の米国兵が英国に駐留していた。3月にはドワイト・D・アイゼンハワー連合軍最高司令官とウィンストン・チャーチル英首相が英国で米国のパラシュート部隊を視察している。

 写真は5月17日、英国南岸のブライトン近郊で、未来の女王、18歳のエリザベス王女が、Dデイの準備を進めるグレナディアガーズ第2大隊の儀仗隊を視察したところだ。英国軍の近衛機甲師団に編入されたグレナディアガーズは6月中旬、フランスのノルマンディーに上陸し、9月3日にはベルギーの解放に参加した。

 5月24日には、侵攻の演習で揚陸艇の大船隊がサウサンプトンとワイト島の間の「航路」を通過。揚陸艇は水陸両用作戦に不可欠な存在だった。6月1日には、英国ゴスポートで第13および第18王立軽騎兵連隊のシャーマン戦車がソード・ビーチからの上陸を目指し空母に積み込まれ、準備は着々と進む。

 運命の6月6日には、その日だけで2501人の米国兵が命を落とし、連合軍の死者の半数以上を占めた。続くノルマンディー上陸作戦では、連合軍の兵士約7万3000人が死亡し、15万3000人が負傷した。

 だが、ナチスによる4年間の占領を経て、1944年8月26日にはフランス軍の車両が首都パリの凱旋(がいせん)門前でパレードを行い、群衆から喝采を浴びた。