<青赤のピッチサイドから>いつもそばにいるから/12

AI要約

FC東京が広島での試合に向かう過程や試合内容、サポーターの存在について述べられている。

台風の影響や選手たちの疲労などが語られ、試合に臨む選手たちの姿が描かれる。

サポーターの熱い声援やFC東京チームの団結力が重要視され、試合後の光景も描かれる。

<青赤のピッチサイドから>いつもそばにいるから/12

 今回の「青赤のピッチサイドから」はタイトルに反し、スタンドからの観戦記です。負けた試合ではありますが、書いておきたいことがあります。

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 「いつも俺らがついてるぜ」

 8月31日、エディオンピースウイング広島で行われたサンフレッチェ広島戦。アディショナルタイムを含めた97分間、青赤のサポーターたちはFC東京の選手たちに声援を送り続けた。

 結果は2―3で敗れ、リーグ戦は6試合勝ちなしの厳しい状況となった。FWながら約11キロを走った仲川輝人選手は試合後、涙を浮かべていた。それだけ、選手やチームはこの試合に並々ならぬ思いを持って挑んでいたのだ。

 夏の終わりも近づく8月の最終週。日本列島はのろのろと動く台風10号の猛威にさらされた。公共交通機関も大雨や強風の影響で混乱が見込まれるため、チームは当初の予定を1日早めて移動した。

 8月29日に午前練習を終え、広島を目指して昼過ぎに東京駅を出発した。しかし、選手らを乗せた東海道新幹線は新富士駅で停車。静岡県付近での大雨により、午後4時ごろから運転を見合わせた。新幹線は日をまたいでも動き出すことはなく、急きょ同駅近くのホテルで宿泊となった。

 車内販売も行われていない狭い車内で、約8時間も過ごした選手たち。中には疲労が蓄積し、体調不良を訴える選手もいたという。30日も新幹線の復旧のめどは立たず、駆けつけたチームバスで夜に東京へと逆戻り。羽田空港近くの宿泊施設で一夜を過ごした。

 試合当日の朝、広島空港行きの便が満席で、スタジアムから離れた山口宇部空港に向かうことになった。空港到着後はバスに乗り込み、広島に到着したのは午後1時ごろだったという。

 台風はチームだけでなく、広島を目指すサポーターたちの旅路も阻んだ。31日の東海道新幹線は三島―名古屋間で終日運転を見合わせた。新幹線での移動を諦め、長時間の車移動を余儀なくされた人もいた。

 夏休みを利用して試合観戦へと向かう私は、台風が来る前から航空券を予約していた。羽田空港に着き、広島空港行きの搭乗口に向かうと、青赤のユニホームを着た多くのサポーターの姿があった。 搭乗前のロビーでは心配そうな表情でスマートフォンを見つめる人たちが少なくなかった。SNS(ネット交流サービス)では選手らを心配し、「自分の航空券を選手に譲りたい」などの書き込みもあった。運良く片道1時間半で広島空港にたどり着いた私も、チームのことを思うと心が苦しくなった。

 空港から車で1時間走ると広島の中心部に着く。平和記念公園を抜け、原爆ドーム横を流れる元安川沿いに15分ほど歩くと真新しいスタジアムが姿を見せた。

 言うまでもなく、広島のホームスタジアムに入ると、客席は紫に染まる。その中で、青赤のサポーターたちを見つけるとどこか安心感があった。ゴール裏に掲げられた「台風でも来ちゃった!笑」という手書きの応援幕にも「らしさ」を感じた。

 ピッチでウオーミングアップが始まると、GKが3人いることに気がついた。後で確認すると、不測の事態や練習のために試合登録選手数よりも3人多く広島へと向かったという(1人は途中、コンディション不良のため離脱)。

 まさに、総力戦。広島の夏が暑いことは大阪本社在籍時、平和を祈念する8月6日の取材で知っていた。その中で3日かけて移動した選手たち。体を動かすこともできずに試合に臨むことが、にわかに信じられなかった。

 試合は厳しい結果となった。それでも、長らく遠ざかっていたゴールが生まれ、再びチームに火が入ったように感じた。苦しいチームを後押ししたのは、やはりサポーターだったと感じる。

 試合後、広島の夜空に「You’ll never walk alone」が響いた。台風を乗り越え、広島に駆けつけたFC東京サポーター。その歌は、いつも以上に心を強く揺さぶった。

 「嵐の中を歩き続けよう。心に希望を持って歩き続けよう。あなたは絶対に一人で歩いているんじゃない」【藤井達也】