佐々木朗希の“登板回避”で大騒動…大船渡あの32歳監督は今「高校野球監督ではなく…」追い続けた記者に語った真相「当時ムキになっていた」

AI要約

2019年の夏、岩手大会決勝でプロ注目の投手佐々木朗希を登板させなかった監督の國保陽平。5年後、國保は母校の盛岡第一高校で副部長として働いている。試合が行われる球場の駐車場で整理係をしている彼の姿があった。

かつて指導した学校の試合を観戦する中、彼の采配について賛否両論が巻き起こった事実を振り返る。当時、國保は健康を最優先に考え、佐々木の将来を守るために決定を下したが、その采配には疑問も生じた。

試合で先発すべき選手を使わなかったり、勝負を諦めたかのような采配を行ったことに対して、多くの批判が浴びることとなった。その真意について疑問が残るまま、今も國保は野球の世界で自らの道を歩んでいる。

佐々木朗希の“登板回避”で大騒動…大船渡あの32歳監督は今「高校野球監督ではなく…」追い続けた記者に語った真相「当時ムキになっていた」

 2019年の夏、勝てば甲子園出場が決まる岩手大会決勝。大船渡高の監督、國保陽平はプロ注目の投手だった佐々木朗希(現ロッテ)の登板を回避し、チームも敗れた。怪物エースを大一番で投げさせない選択は正解だったのか――日本中を巻き込んだ大騒動から5年、國保は今。【全4回の1回目】

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 夏の岩手大会2回戦が開催されていた2024年7月15日、「きたぎんボールパーク」(岩手県盛岡市)の駐車場に、國保陽平(37歳)の姿はあった。現在、母校である盛岡第一高校硬式野球部の副部長を務める彼は、岩手県高野連の仕事として、駐車場の整理係を担当していた。海の日(祝日)とあって、自家用車で訪れる応援団や高校野球ファンの列が途切れない。

 だだっ広い駐車場を忙しく動き回るポロシャツ姿のこの男が、5年前の夏、高校野球の世界で物議を醸す決断を下した監督本人であることに気付くファンはどれほどいるだろうか。國保は「誰にも気付かれませんよ。もう5年も経っているんですから」とニンマリし、言葉を続けた。

「僕の話を聞きにわざわざ岩手までやってくる報道の方も、他には誰もいません」

 いつの頃からか、國保とは軽口を言い合う仲になっていた。そこで、令和の怪物ばりのド直球の質問をぶつけた。

――教え子の佐々木朗希(千葉ロッテ)は本当にロサンゼルス・ドジャースに行きたいんですか。

「そんなの僕に分かるわけないじゃないですか(笑)。ノーコメントで」

 もちろん、國保に会いに来た理由はそんな質問のためではない。

 同時刻、球場では花巻農業と花巻東が対戦していた。花巻農業は國保が初めて監督を務めた縁のある学校だ。そして花巻東は5年前に岩手大会決勝で対戦して敗れた、因縁の相手である。

 2019年夏、國保は公立の大船渡を率いていた。その時、エースだったのが令和の怪物と呼ばれていた佐々木である。しかし、大船渡にとって35年ぶりの甲子園切符が懸かった岩手大会決勝で、國保は佐々木をマウンドに送らなかった。準決勝で4番に座っていた佐々木を、一打席も立たせなかった。つまり、出場させなかった。

 理由は「故障から守るため」。決勝を前にした怪物になんらかの故障もしくは肉体的な違和感があったわけではない。ケガを未然に防ぐために、國保が登板を回避させたのだ。しかし、ナインが共有する甲子園出場という夢の実現よりも、佐々木の将来を優先したかのような采配理由であったため、試合後は賛否両論が渦巻いた。

 私は國保を強く批判した。ただし、佐々木の登板を回避したことを批難したかったわけではない。盛岡第一から筑波大を経て、アメリカの独立リーグでもプレーした経験を持つ國保は、選手の「健康」を第一に考え、投手が登板過多にならないように気を遣い、ベンチ入りメンバーを総動員しながら戦うタイプの指揮官だった。決勝の4日前となる4回戦(7月21日)で延長12回194球を投げ、準決勝(7月24日)から連投となる佐々木を決勝(7月25日)で先発させないことは、それまでの采配を見る限り十分に予想できたことだった。

 問題はそこではないのだ。なぜ先発が、この年の岩手大会で一度も登板がなかった5番手投手だったのか。なぜ大量に失点を重ねてなおその投手を続投させ、1対9と大勢が決まった6回まで引っ張ったのか。そしてなぜ、交代で送り込んだ選手もそれまで登板のなかった4番手投手だったのか。また、4回戦で勝負を決する本塁打を放ち、足も速い佐々木を野手としてどころか、代打でも使わなかったのはなぜなのか。

 國保の采配は、まるで勝負を端(はな)から諦めたかのようだった。だからこそ、その真意を問いたかったのだ。