佐々木朗希の恩師が泣いていた…高校野球を激変させた“登板回避”の決断「時間が戻っても朗希を投げさせない」大船渡の32歳監督は何者だったのか

AI要約

岩手大会決勝で大船渡高の監督、國保陽平がプロ注目のエースを登板させず敗れる。國保の偏屈さや決断について追求。

國保の徹底的な姿勢や自己の決断を譲らない姿勢、大船渡との交流を拒む様子について触れられる。

國保が母校の盛岡第一での活動や大船渡との対戦時の心境について、偏屈な一面が浮かび上がるエピソード。

佐々木朗希の恩師が泣いていた…高校野球を激変させた“登板回避”の決断「時間が戻っても朗希を投げさせない」大船渡の32歳監督は何者だったのか

 2019年の夏、勝てば甲子園出場が決まる岩手大会決勝。大船渡高の監督、國保陽平はプロ注目のエース、佐々木朗希(現ロッテ)を登板させず、チームも敗れた。怪物エースの登板回避は正解だったのか――日本中を巻き込んだ大騒動から5年。この一件を追い続けたライターが見た「國保の涙」とは。【全4回の2回目】

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 岩手県立大船渡高校の元監督で、現在は盛岡第一高校の硬式野球部副部長を務める國保陽平(37歳)は実に偏屈な男だ。そして意固地だ。

 2019年の夏が終わると、登録してあった記者の携帯番号をすべて着信拒否にした。どんなに私が岩手に通い続け、親しくなっても、携帯電話の番号を教えてくれないのは、彼なりの仁義を貫こうとするからだ。それゆえ、國保に話を聞こうと思う度に、私は岩手にまで足を運ばなければならない。

 また、昨年春に大船渡を離れ、母校の盛岡第一に転勤となると、大船渡の教え子たちにこう告げた。

「今後、球場でお前たちと会っても、オレは挨拶はしないし、目配せもしない。『國保はなんて冷たいヤツなんだ』と思うかもしれないが、心の中では応援してるぞ」

 曰く、盛岡第一の教員でありながら、大船渡の選手と親しそうに話しているのを盛岡第一の選手が見たら、「先生はやっぱり大船渡の子たちがかわいいんだ」と嫉妬するかもしれない。だから、大船渡の選手とは交流しないというのだ。

 私には國保の言い分が解せなかったが、自分がこれと決めたことを断固として譲らない姿勢は、野球における采配にも通ずる。

 昨年夏、盛岡第一と大船渡は岩手大会3回戦で対戦した。教え子同士の対決を、國保は室内練習場から見守っていた。大船渡の先発は佐々木怜希、令和の怪物の弟である。打者としても期待が高かった怜希が3回に3失点を喫しベンチに下がると、「どこかケガしたのかもしれません」と気が気ではない様子だった。

 軍配は3対1で盛岡第一に上がった。その瞬間、驚きの光景を目撃した。