「チェンジアップと甲子園が人生を変えた」 早大ルーキー安田虎汰郎、日大三の大先輩・吉永健太朗さんから学んだ「魔球」のコツ

AI要約

2023年2月9日。日大三高の小倉全由監督は、同年の3月31日をもって退職すると発表した。安田虎汰郎は、小倉監督の退職を受けてチーム内での切り替えに向けて努力していた。吉永健太朗さんからシンカー投げ方を教わり、安田はチェンジアップを大きく進化させていった。

安田のチェンジアップは、3種類のバリエーションを持ち、特にシンカー系は優れた武器となっている。安田はチェンジアップを武器に夏の大会を勝ち上がる自信を深めていった。

安田は小倉監督のもとで練習を積み重ね、他の部員たちと共に目指すべき目標を持って成長している。吉永さんからの指導と経験を活かし、安田は新たな才能を開花している。

「チェンジアップと甲子園が人生を変えた」 早大ルーキー安田虎汰郎、日大三の大先輩・吉永健太朗さんから学んだ「魔球」のコツ

2023年2月9日。日大三高の小倉全由監督は、同年の3月31日をもって退職すると発表した。現在は早稲田大学の1年生で、当時高校3年になる直前だった安田虎汰郎は、他の部員たちと同様に小倉監督を慕って、日大三野球部の門をたたいた。予感はあったものの、いざ現実を突きつけられると、チーム内には衝撃が走った。

それでも切り替えなければいけない。「部長から監督になる三木有造さんを甲子園に連れていく。これが小倉監督への最高の恩返しになると、心を一つにしました」

翌10日に、運命的な出会いがあった。2011年夏の第93回全国高校野球選手権大会で優勝したときの右腕・吉永健太朗さんが小倉監督のもとを訪ねたのだ。早稲田大学1年の春はリーグ優勝と大学日本一の立役者となり、卒業後はJR東日本でもプレーを続けたが、2019年限りで現役を引退した。

安田は、シンカーの使い手として知られていた吉永さんにあいさつした後、「投げ方を教えてください」と頼み込んだ。快く承諾した吉永さんは、安田のチェンジアップを1球受けただけで、シンカーを投げられる素質があると見抜いた。そして、コツを伝授してくれたという。

今春の東京六大学リーグ戦で、他大学の監督から「初見で打つのは難しい」と言わしめた安田のチェンジアップは「魔球」の異名を持つ。投げ始めたのは高校入学後。最初は見よう見まねだったが、2年夏にはシュート系とスライダー系の投げ分けができるように。ただ、ブロック予選から全試合を完投した2年秋も、絶対的な武器にはなっておらず、その比率は全投球の2割程度だったという。

そこでシンカー系を加えようと、吉永さんに指導を仰いだ。吉永さんのシンカーも当時「魔球」と呼ばれていた。

現在、安田のチェンジアップは大きく分けて3種類ある。緩いチェンジ、鋭く曲がるチェンジ、そしてカウントによって抜き方を変えるチェンジで、シンカー系は3番目に含まれているようだ。チェンジアップは球速がない一方、手元で変化するため、バットの芯でとらえるのはなかなか難しい。

チェンジアップが絶対的な武器となったのは、3年春の大会後、5月の愛知遠征だった。中京大中京打線に打ち込まれた安田は、翌日の享栄戦でチェンジアップを多投。すると次々に打者のバットが空を切り、三振の山を築いた。

夏を勝ち上がるには、このチェンジアップしかない――。9回1失点、10奪三振の内容に、安田は手応えをつかんだ。6月の香川遠征でも高松商打線を完封し、安田は自信を深めていった。