小倉全由監督に「ロッキー」第1作を見せられ、大ファンに 早大・安田虎汰郎「3年夏が終わったかのように泣いた」2年の秋

AI要約
安田虎汰郎は神宮デビューを果たし、チェンジアップを武器に早稲田大学の東京六大学リーグ優勝に貢献した。中学時代は無名であり、日大三高への進学を決めるきっかけとなった。入学後は三木監督の信頼を勝ち取り、甲子園での活躍を経て、名門野球部の一員となった。
小倉全由監督に「ロッキー」第1作を見せられ、大ファンに 早大・安田虎汰郎「3年夏が終わったかのように泣いた」2年の秋

入学早々の今春から神宮デビューを果たし、「魔球」と呼ばれるチェンジアップを武器に早稲田大学の東京六大学リーグ優勝に貢献した安田虎汰郎(1年、日大三)。意外にも中学時代は全くの無名だったという。訪れたいくつもの分岐点を経て、名門高校のエースに。3年夏の甲子園で快投を披露し、高校日本代表にも選出された。

「人生を変える場所であり、自分の力量以上のものを発揮させてくれる場所だと思います」。安田は甲子園についてこう語る。日大三高時代は2年夏、3年夏と2年連続で甲子園のマウンドを踏んだ。

ここに至るまでには、いくつものターニングポイントがあったという。一つひとつの判断が、安田の野球人生を前へ前へと進めてくれた。

最初に訪れたのは中学3年の時。当時は千葉の袖ケ浦リトルシニアに所属し、主将で5番ショートだった。無名の存在で、野球で進路を切り開くのは難しい状況だったが、憧れていた高校はあった。それが日大三高だ。

「中学1年の夏(2018年)、日大三は甲子園(第100回全国高校野球選手権記念大会)でベスト4に進出したんですが、この時の姿が強く印象に残りまして。カッコいいな、強いチームだなと」。小倉全由・前監督(2023年3月末で勇退、現・U-18日本代表監督)のもとでプレーしたい思いも抱いていた。「小倉さんは僕と同じ外房出身なので、親近感もありました」

幸運なことに、袖ケ浦シニアには日大三高に進学した卒団生がおり、つながりがあった。神田雄二監督が三木有造監督(当時部長)に連絡をすると、安田を見に来てくれた。こうして翌春、安田は日大三高に進学し、春夏通算で39回の甲子園出場と3度の甲子園優勝を誇る名門野球部の一員となった。

それにしても、なぜ入れたのか? 高校野球を引退した後、安田が三木監督に尋ねると、真実を教えてくれたという。

「技術的には三高でメンバーに入るのは難しいと思っていたそうです。ただ、僕の『小倉監督のもとでやりたい』『三高で甲子園に行きたい』という言葉や表情を見て、この子なら3年間、厳しい三高でもやっていけると。そう判断してくれたようです」