【甲子園】夏100戦目V打の中京大中京・仲健太郎の次なる夢と夢 熊本・南阿蘇村育ちで被災経験

AI要約

熊本出身の中京大中京の仲健太郎内野手は、熊本地震を経験し、岡山で野球を始めた。進学を機に母と名古屋に移り、自ら立てた目標を達成し甲子園に出場した。

荒木雅博氏の支えもあり、甲子園で活躍した仲は、米国の大学進学を目指す。将来の夢は高校野球の監督で、指導者として聖地に戻りたいと語った。

地元愛知からの挑戦で充実した日々を送り、将来への夢に向かって進んでいく仲健太郎選手の物語。

<ラストカレンダー~夏の終わり~ 中京大中京・仲健太郎内野手(3年)>

 <全国高校野球選手権:神村学園4-3中京大中京>◇15日◇2回戦

 同校で異色の九州出身選手は、聖地での輝きを胸に、渡米の夢を描く。

 褐色のあか牛が放牧される自然豊かな熊本・南阿蘇村育ちの仲の原点は、小4で熊本地震に被災した経験にあった。自宅は倒壊し、母の身寄りのある岡山県内の小学校へ3カ月間避難した。「地震は今も鮮明に覚えていて悲しかった。岡山ではソフトボールをやっていて、スポーツをする時だけは忘れられて、野球が大好きになりました」。

 次の転機は、「日本一」を目指せる高校を知った中学3年。19年秋に明治神宮大会優勝を飾った中日・高橋宏斗擁する中京大中京への進学を決意。寮のない同校へ、母早苗さん(41)と名古屋市内への転出を決断。「どこでも行く用意はできていた」と母と二人三脚で名古屋生活を始めた。

 入学直後、「自分で立てた目標はクリアしていけたら」とアシストした母。半紙に記して、仲は寝室に飾った。「Bチームの先発出場」「Aチーム入り」「甲子園でスタメン出場」。

 着々と出場機会を勝ち取り、周囲の指導者や友人に恵まれた。チーム内では「例えるなら『侍』」と精神的支柱になった。苦戦したのは、名古屋の「赤みそ」の辛さだけだった。

 昨夏は愛知大会準優勝。今年は逆転勝ちで、聖地行きをつかんだ。甲子園には、被災時の友人が出場し、組み合わせ抽選会では、避難時に親しくなった岡山学芸館のエース沖田幸大投手(3年)ら数人との再会が実現した。

 宮崎商との初戦では、先発出場し、夏の選手権100試合目で勝利を決める勝ち越し打を放った。入学時に掲げた3つの目標も達成した。甲子園の一打には、同郷で同校臨時コーチで同試合を観戦した、荒木雅博氏(元中日=46)の存在があった。「荒木さんはメンタル面で支えてもらって、『お前ならチャンスで打てるぞ』っていつも言ってもらってる。その言葉はでかいですね」。

 2回戦は6回2死に左前二塁打。1999年(平11)に海星(三重)でセンバツに出場ナインの父祐貴さんの43歳の誕生日をバットで祝った。父と同じ、背番号3の「5番一塁」で聖地を駆け回った。「誕生日なので勝ちたかったけど、執念は見せられた」。

 高橋宏斗たちに引き寄せられ、野球人生が一変し、2年半の月日が経った。「名古屋の街は充実していて、怖いです(笑い)。今は阿蘇に帰って、阿蘇山を眺めて、ゆっくり散歩したい」。

 卒業後は夢の一つである米国の大学進学をめざし、8月下旬に国内でセレクションを受験予定の方向。「小さい頃から憧れていたので。高校もチャレンジしたくて、愛知には来たくて来たので」。その先の夢は、「高校野球の監督」。指導者として再び聖地に帰ってくる。【中島麗】