「監督なのに校歌は全力」元巨人ドラ1選手が名門校で「元プロというより教育者」な“熱血監督”になったナゼ 生徒は「野球以外の指導の方が…」

AI要約

元巨人のドラフト1位でありながら、苦労を経て高校野球の指導者となった原監督が甲子園初戦で校歌を歌う喜びを語る。

彼の謙虚な姿勢や教育者としての使命感が垣間見えるインタビューが示唆に富んでいる。

元プロ野球選手から教育者としての指導者人生を歩む原監督の熱量と謙虚さが深く伝わる。

「監督なのに校歌は全力」元巨人ドラ1選手が名門校で「元プロというより教育者」な“熱血監督”になったナゼ 生徒は「野球以外の指導の方が…」

 全力校歌。

 2018年夏の甲子園を席巻した金足農のように、選手たちが声を張り上げるシーンはそこまで珍しいことではない。

 監督となると別だ。

 感傷に浸りながら口ずさむことはあっても、大声で歌い上げる姿はあまり見かけない。

 初戦の富山商戦で4-0の勝利を飾った東海大相模の原俊介は、それだけ監督として甲子園で初めて聞く校歌への想いが強かったのだと、“全力”の背景を興奮気味に明かす。

「選手時代は春に甲子園で校歌を歌えましたけど、夏は出られませんでしたので。監督になってからも、甲子園は応援に行くところだと思っていたくらいだったので、ここで夏に校歌を歌うことは夢でした。それが叶った喜びがありましたので、感極まって大声で歌ってしまいました」

 そして原は、校歌を歌わせてくれた人々への感謝も語る。

「今まで出会ったすべての教え子に成長させてもらってのこの結果だと思っていますんで、お礼を言いたいです」

 原は甲子園が終わった8月30日に47歳を迎える。年齢を感じさせないほどの熱量を放出させる高校野球の指導者ではあるが、ファンならば知る通り、彼は「元プロ野球選手」の看板を持つ。

 東海大相模の「強打のキャッチャー」として注目を浴び、1995年のセンバツに出場した原は、同年のドラフト会議で巨人から1位指名を受けた、いわば野球エリートだ。

 弱肉強食のプロの世界では、11年の現役生活で一軍出場は68試合のみだった。その後、大学で保健体育の教員免許を取得し、「元プロ野球選手」でもアマチュアの指導が可能となる学生野球資格も2014年に回復させている。

 そして、2年後の16年に静岡の東海大翔洋で監督に就任してから原の指導者人生が始まり、21年に母校のユニフォームを着ることとなった。

 元巨人のドラフト1位。

 誰もが羨む金看板を持つだけに自信家ではないのかと勝手に想像してしまうが、実際の原の声を聞くと謙虚なのだと認識が改まる。

 甲子園初戦後の囲み取材でのこと。

――巨人のドラフト1位から高校野球の指導者となって苦労もあったと思うが。

 インタビューではないため、深い回答を得られないと理解しつつ答えを求める。口を開いた原には「人柄」がにじみ出ていた。

「様々な人がいる、ということですよね。いいことも悪いことも様々あって、そのなかで自分はどうアクションを起こしていかなければいけないのかと考えながらやっています。生徒に関して言えば、私生活のことからちゃんとしないとダメだと言っていますし、そういう部分からちゃんと向き合ってきたからこそお互い気づきや教えもあると思っていますし、教育者としての今があると思っています」