最大瞬間風速がすごかった”天才”(5)ルーキーイヤーから22勝なのに…プロ生活の勝ち星は「60」

AI要約

木田は、ルーキーイヤーから22勝を挙げ、最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠を獲得。

同年は新人王に加え、新人では史上初となる最優秀選手(MVP)にも選ばれるなど、プロ1年目から飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍。

1年目に残した成績の衝撃は、プロ野球ファンの記憶に刻まれている。

最大瞬間風速がすごかった”天才”(5)ルーキーイヤーから22勝なのに…プロ生活の勝ち星は「60」

 プロ野球の世界では、長く安定した成績を残し続ける選手もいれば、太く短く圧倒的な成績を残し、ファンの記憶にその活躍を刻む選手たちもいる。今回はその後者にあたる選手の中で、とりわけ活躍が印象深い投手たちにフォーカスを当てて紹介する。

投打:左投左打

身長/体重:180センチ/75キロ

生年月日:1954年6月7日

経歴:横浜一商高-日本鋼管-日本ハム(1980-1985年)-横浜大洋(1986-1989年)-中日(1990年)

○最優秀防御率:1回(1980年)

○最多勝利:1回(1980年)

○最高勝率:1回(1980年)

○最多奪三振:1回(1980年 ※タイトル制定前)

 木田は、ルーキーイヤーから22勝を挙げ、最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠を獲得。日本ハム入団前に一度プロ入りを見送った経歴があり、25歳のオールドルーキーではあったが、「打高」といわれた打撃優位の年で防御率は圧巻の2.28。同リーグの各球団では、チーム防御率2位のロッテで4.15、同6位の南海では5.63と苦しんだが、日本ハムは3.61と木田の活躍が浮き彫りとなった。

 同年は新人王に加え、新人では史上初となる最優秀選手(MVP)にも選ばれるなど、プロ1年目から飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍。新人でMVPを獲得したのは、現時点(2024年終了時点)でも、1990年の野茂英雄と木田の二人だけである。

 翌81年は10勝10敗、10完投2完封の成績で、2年連続の二桁勝利を挙げるも、それ以降は二桁以上の勝ち星を手にすることはなかった。

 「2年目のジンクス」という言葉は今でも耳にすることが多いが、木田はまさにそのジンクスにのまれてしまった選手の一人なのかもしれない。それでも、1年目に残した成績の衝撃は、プロ野球ファンの記憶に刻まれている。