赤崎、花の都で積極果敢 「やめたい」坂対策実る―マラソン〔五輪〕

AI要約

赤崎が花の都の難コースを攻め、男子マラソンで6位入賞。達成感に満ちた表情でゴール。

自身のペースに徹し、途中の絞られる集団に食らい付く。坂対策の徹底練習が実を結び、入賞に繋がった。

熊本県出身の赤崎は金栗四三の影響も受けながら、日本記録への向上心を示す。

 花の都の難コースを積極果敢に攻めた。

 国内でもダークホースと見られていた赤崎が男子マラソンで6位に入賞。達成感に満ちた表情で両腕を広げてゴールし、「人生で一番楽しいレースだった」。日の丸を身にまとい、声を弾ませた。

 15キロ以降の上り坂で徐々に絞られる集団に食らい付いた。コースが下り基調になってペースが落ちても、「自分のリズムに持っていった」。25キロをトップで通過した。

 28キロすぎでトラに先頭を譲り、2位集団にも抜かれた。急勾配で太もも裏がつりかける危機もあり、「追い掛けて後半に大失速するよりは、まず自分のリズムを」と我慢。5番手で粘り、40キロすぎに順位を落としながらも入賞圏内に踏みとどまった。

 腹が固まったのは2020年。自身は出場しなかった日本選手権の1万メートルで、相沢晃(旭化成)が当時の日本記録を出すなど、同世代のスピードランナーの走りに衝撃を受けた。「自分はマラソンをやっていこうと気持ちを切り替えた」

 マラソンの自己ベストは2時間9分台ながら、昨秋の代表選考会で勝負強さを発揮して2位。当時から九電工の綾部健二総監督は「持ちタイム(の勝負)じゃない」と繰り返し、五輪前には徹底した坂対策のメニューを組んだ。赤崎はそれに耐え抜き、五輪の舞台で自己記録を更新。「3カ月間、やめたいほど坂の練習をやらされた。綾部さんのおかげで入賞できた」と感謝を口にした。

 同じ熊本県出身で「日本マラソンの父」と称される金栗四三は、100年前のパリ五輪で途中棄権。「完走できてよかった」。1世紀の時を越え、価値ある入賞をつかみ取った26歳は「日本記録を出すまではまだまだ。出してから僕は強いぞと言おうかな」といたずらっぽく笑った。