「『これぐらいでも勝てるんや』と思ってしまった」あの田中希実を破って全国制覇…“天才少女ランナー”はなぜ突然、陸上界から姿を消した?

AI要約

田中希実は高校時代にはインターハイで表彰台に立てず、1学年上の高橋ひなが輝いていた

高校卒業後、早稲田大学で競技を続けるも成績が伸びず、競技から離れる決断をする

夢だった東京五輪出場を果たせず、トラックを去る決意をする高橋ひなの競技人生の結末

「『これぐらいでも勝てるんや』と思ってしまった」あの田中希実を破って全国制覇…“天才少女ランナー”はなぜ突然、陸上界から姿を消した?

 パリ五輪の注目選手で、日本女子中長距離界の第一人者である田中希実(New Balance)。そんな彼女だが、実は高校時代にインターハイで全国の頂点に立った経験はない。在籍した西脇工高は田中が高2時の1500mで「表彰台独占」の快挙を達成しているが、彼女は2位。その時に頂点に立ったのが田中の1学年上の先輩・高橋ひなだった。中学時代から活躍を見せた「天才少女」は、しかしこの優勝を機に陸上人生の歯車を狂わせていくことになる。26歳になった彼女が語った、かつての蹉跌とは。《NumberWebノンフィクション全3回の2回目/つづきを読む》

 決して順調な高校3年間を送ったわけではない。中学時代の栄光に比べれば、もの足りなくも映ったかもしれない。だが、苦しみぬいた3年間の最後に存在感を示した。「やっぱり高橋は強い」そう思わせるのに十分な活躍は見せた。

 しかし、少しずつ歯車が狂い始めていたのも事実だった。

「それまで走るために生活を費やすのが普通だと思っていたのが、だんだんと『実は普通じゃなかったんだ』って思うようになりました。それが高校2年生ぐらいの頃です」

 本人は、そう気持ちに変化があったことを明かす。高3のインターハイ優勝にも葛藤を覚えることがあった。

「あの時、優勝しないほうが良かったんじゃないかなってたまに思うんです。中3の国体にしろ、高3のインターハイにしろ、自分が予想していなかった勝ち方をした。“今日は確実に勝てる”という確信を持って勝ったわけではない。自分は、そういう感じで勝てた試合が多かった。

 言い方が悪いですけど、『これぐらいでも勝てるんや』って思ってしまったところがあったのかもしれません。だから、高校を卒業してから、陸上がうまくいかなかった。練習環境もコーチも、メニューも、本当に一流のなかの一流だったのに、自分はそこにいてもいい人間ではなかった」

 栄光が必ずしもプラスに作用するとは限らない。高橋は出口の見えないトンネルでもがくことになる。

 高校卒業後の高橋は自己推薦で早稲田大学スポーツ科学部に入学した。しかし、部活動ではなく、ナイキが立ち上げたプロチームNIKE TOKYO TCで競技を続けた。 

 ロンドン五輪男子800m代表で、現役を引退したばかりの横田真人氏 (現TWOLAPS TC )がヘッドコーチを務めるチームだ。

「早大の所沢のトラックは体育の授業でしか走ったことがないんです」

 こう笑って話すように、大学のキャンパスがある埼玉・所沢ではなく、二子玉川に住み、横田の母校の慶大・日吉グラウンドや明大・八幡山グラウンド、多摩川などで練習を行っていた。

 練習環境は申し分なかったが、なかなか結果が出なかった。2年間が経過し、大学を休学して競技に専念する決断をしたものの、第一線に戻るどころか、記録は落ち込むいっぽうだった。

「“もうおなかいっぱいですわ”ってなってしまって……」

 高橋は、トンネルの出口に辿りつけないまま、陸上競技をドロップアウトする選択をとった。

 横田に辞めることを伝えると、「ごめんな」と謝られたという。

「いやいや、こっちこそ、すみません…っていう感じでしたが」

 指導者の横田にとっても、当人にとっても、悔いの残る形で高橋の競技人生は終わりを迎えた。

 奇しくも2020年。結局、新型コロナウィルスの感染拡大により延期になったが、本来であれば東京五輪が開催されていたはずの年のことだ。その7年前、「東京オリンピックに出たい」と目標を口にしていた少女にとって、五輪出場は夢物語のまま、トラックを去ることになった。