田中希実「じつは優勝していない」インターハイ…全国制覇した“同じ高校の天才少女”は何者だった?「中学生で高3生に圧勝」「東京五輪のホープ」

AI要約

パリ五輪注目選手で日本女子中長距離の第一人者である田中希実。高校時代のインターハイでは表彰台に立つことがなかったが、同学年の後輩たちと競い合い成長してきた。

2016年のインターハイで高橋ひなが1500mでインパクトを残し、田中や後藤を抑えて日本一に輝く。高橋は中学時代から才能を発揮し続けていた。

中学生としても高校生と競い合い全国大会で成功を収めた高橋は、将来を約束された天才ランナーだった。

田中希実「じつは優勝していない」インターハイ…全国制覇した“同じ高校の天才少女”は何者だった?「中学生で高3生に圧勝」「東京五輪のホープ」

 パリ五輪の注目選手で、日本女子中長距離界の第一人者である田中希実(New Balance)。そんな彼女だが、実は高校時代にインターハイで全国の頂点に立った経験はない。在籍した西脇工高は、田中が高2時の1500mで「表彰台独占」の快挙を達成しているが、彼女は2位。では、その時に頂点に立った「天才少女」とは、一体どんな選手だったのだろうか。《NumberWebノンフィクション全3回の1回目/つづきを読む》

 前回の東京五輪は、日本の女子中長距離界にとって歴史的な大会になった。

 1972年のミュンヘン五輪から女子1500mが行われるようになったが、それまで日本人はなかなか出場を果たせずにいた。ところが東京五輪では田中希実(New Balance、当時は豊田自動織機TC)と卜部蘭(積水化学)が日本人として初めて出場に漕ぎつけ、田中は8位入賞の快挙を成し遂げた。

 そして、今回のパリ五輪にも田中と後藤夢(ユニクロ)の2人が1500mで世界に挑む。

 兵庫県出身で同学年の田中と後藤は、中学時代から切磋琢磨し合い、兵庫・西脇工業高ではチームメイトになった。

 彼女たちが高校2年生だった2016年のインターハイ。西脇工業高勢が女子1500mの表彰台を独占している。ただ、この時に表彰台の最も高いところに立ったのは、田中でも後藤でもなかった。見事に高校日本一に輝いたのは、彼女たちの1学年先輩である高橋ひな(現新日本住設グループ)という選手だった。

「2人は練習でもめっちゃ強かった。一緒に練習すると毎回やられていました。勝てたのは、ほんまに最後のインターハイだけです」

 ケガが多かった高橋にとって、インターハイ決勝の舞台はのちにオリンピアンになる2人の後輩に勝利する千載一遇のチャンスだった。そして、その機会を逃さなかった。

 この時の高橋の優勝を伝える多くの報道には“復活”の文字が付いて回った。

「“復活優勝”みたいな書かれ方をされましたが、個人的には1500mは“びっくり優勝”みたいな感じでした。自分の中では完全に復活した感覚はあんまりなかったですから。現に800mに関してはボロボロで、走れなくなっちゃっていたので」

 そうなのだ。高橋は早い時期から“天才”の名をほしいままにした中距離ランナーだった。

 両親ともに陸上競技経験者で、小学生の頃に陸上を始めると中学2年で早くも800mの全国チャンピオンに輝いた。

 さらに大きな衝撃をもたらしたのは、彼女が中学3年生だった2013年のことだ。全日本中学校選手権で800mと1500mの二冠を成し遂げると、その年の秋に開催された東京国体でさらに圧巻な走りを見せた。

 中3から高3までを対象とした“少年女子共通”というカテゴリーの800mと、中3と高1が出られる“少年女子B”の1500mの2種目にエントリーしていたが、タイムテーブル的に両種目に出場するのが難しく、高橋は前者に出場することを選んだ。

 いずれの種目でも年上の選手が相手となることに変わりはなかったが、中学生が少年女子共通のカテゴリーに出場するのは異例と言っていい。中学生相手に無双状態だったとはいえ、高橋にとっても全国大会で高校生と走るのは初めてのことだった。

「自分が一番年下で挑戦者だったので、ひたすら食らいついてやれ、と思ってレースに臨みました。そしたら、うまいこと体が動きました」