「『田中希実』を演じるな」…24歳“日本最強女子ランナー”にコーチの父がかけた言葉の意味は? 東京五輪後は「緊張感に支配されていた」

AI要約

24歳の田中希実選手が開幕を迎えたパリオリンピックで期待を集めている。東京オリンピックでの実績から挑戦者としての立場に移行しているが、メンタル面での不安が影響を及ぼしている。

プロ転向後初の試合である金栗記念選抜陸上中長距離大会では、長年のチームメイトとの別れにショックを受け、不安定な走りを見せた。結果は自己ベストには届かず、2位に終わった。

競技期間中も、周囲の期待やプレッシャーに苦しむ田中希実選手。彼女にとって異様な雰囲気となった競技会場での出来事は、大きな挫折となった。

「『田中希実』を演じるな」…24歳“日本最強女子ランナー”にコーチの父がかけた言葉の意味は? 東京五輪後は「緊張感に支配されていた」

 ついに開幕を迎えたパリオリンピック。陸上界からは女子中長距離で目覚ましい活躍を見せる24歳の田中希実選手に注目が集まる。東京オリンピックでは1500mで日本史上初の入賞を果たすなど群を抜く実績を誇るが、そのコーチを務めるのが実父の健智さんだ。娘と二人三脚で走り続けてきた健智さんの著書『共闘<セオリーを覆す父と娘のコーチング論>』(ベースボール・マガジン社)に描かれた、親子の知られざる苦悩とは。《全3回の第1回/つづきを読む》

 東京オリンピックでの8位入賞以降、希実は挑戦者から追われる立場になった。競技レベルは上がってきた半面、周りから当たり前のように勝つことを求められ、心の波の振れ幅は以前より大きくなっている。かつてはメンタルに左右されるタイプではなかったが、特にこの1、2年は肉体的に整っていても、色んな不安要素が絡み合い、気持ちが整っていない時にレースで外してしまう傾向がある。

 それが顕著に現れたのが、プロ転向後初の試合となった金栗記念選抜陸上中長距離大会だった。

 プロ転向発表からわずか5日後の実戦ということもあり、会場の熊本・えがお健康スタジアムには、希実の走りを心待ちにしているであろう多くの観客や報道陣が詰めかけていた。だが、そんな周囲の期待とは裏腹に、彼女はひどく動揺していたのだ。

 出場する1500mには長年チームメイトだった後藤(夢)もエントリーしていて、会場にはTC時代からお世話になった長谷川重夫氏(現ユニクロヘッドコーチ)の姿もあった。残留でもなく移籍でもなく、覚悟を決めて選んだプロ転向ではあったものの、これまで切磋琢磨した仲間と別れ、別の道を歩んでいくという現実を初めて目の当たりにし、思っていた以上にショックを受けていたようだ。

 試合前の練習は好調だった。だが、そんな彼女の不安定な様子を見て、私は「今回はまずくなりそうだ」と薄々予感していた。案の定、彼女は中盤までトップを走っていたものの、残り400mで失速。そして、ラスト200mで後藤に交わされ、自己ベストには程遠い4分20秒11の2位に終わった。

 あの時の会場の異様な雰囲気は今でも思い出される。

 スタンドで計測していた私の周りには、彼女の走りを楽しみに待つ子どもたちや親御さん、陸上ファンの姿もあった。会場に集まった皆さんは「田中希実はラスト1周でものすごいスパートをかけるだろう」との期待を胸に見守っていたはずだ。ところが、希実はまったくと言っていいほどラストの動きがはまらず、何もできないまま後藤に突き放されていった。

「田中希実らしくない」

 会場内にはそんな空気が漂っているのを肌で感じるほどだった。本人は、私以上にその雰囲気を感じ取っていたはずだ。古巣を飛び出したという不安に加えて、周りが期待するラストを体現しなければ、というプレッシャーが重くのしかかっていたのだろう。