5季連続出場の桑田真澄氏が〝聖地〟を語る「甲子園は砥石」 8月に開場100周年
桑田真澄氏が甲子園球場と高校野球にまつわる思い出を振り返る。
甲子園は挑戦と成長の場であり、ピンチでも力を貸してくれる存在。
今も多くの若者やプレーヤーにとって特別な場所であり続けている。
プロ野球阪神の本拠地で、高校野球の「聖地」として知られる阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)は8月1日、開場100周年を迎える。プロアマを通じ幾度となくマウンドに立ってきた巨人の桑田真澄2軍監督(56)が取材に応じ、今も鮮明に残る甲子園の思い出や次の100年への提言を語った。
■「絶対諦めては駄目」
《大阪・PL学園高のエースとして5季連続で甲子園大会に出場し、2度の優勝を経験。清原和博さんとの「KKコンビ」で注目を集め、通算20勝の記録は今も破られていない》
「初めて足を踏み入れたときは甲子園の雄大さ、大きさに圧倒された。それから芝生と土とソースのにおいが混ざった独特の香り。それがすごく忘れられない。入場行進を待つ間、阪神園芸のおじちゃんに『お前かPLの1年坊主は。甲子園は風を見て投げろよ』と言われてね。入場行進のときに風を感じて『こういうことか』と、センターの旗を見ながら投げていた。甲子園の特徴を教えてもらった15歳の夏だった」
《一躍名を挙げたのは、1年生だった1983年夏の準決勝、徳島・池田高戦だ。猛打の「やまびこ打線」で恐れられた優勝候補を抑え、7-0で完封勝ち。下馬評を覆した》
「絶対に諦めちゃいけないということを、あの試合で学んだ。『10点以内に抑えろ。大阪の恥をさらすな』と先輩に言われ、何とか9点に抑えよう、1回1点まで大丈夫かなんて思っていた。でも向かっていく気持ちで挑戦したら、こういうことが起きるんだと。
甲子園は例えると砥石(といし)。マウンドや打席に立つと緊張、重圧、孤独感、恐怖心がわく。そこに立ち向かう勇気や精神力が大事で、逃げずにチャレンジすることで自分も磨かれていく」
■ピンチで言葉が降りてくる
《高卒で巨人入り後、通算100勝を挙げたのも甲子園。聖地は特別な場所であり続けた》
「よく野球の神様がいるっていうけど、甲子園はとんでもない力を与えてくれる。迷ったらマウンドを降り、メッセージを待った。そうすると『ここはカーブを勝負球にしろ』『思い切ってインサイドを突け』とポンと降りてきて、ピンチを脱したこともあった。そういう体験が甲子園ではたくさんある」
《高校3年間は直球とカーブ以外の球種を封印した。情報があふれ、150キロ超の直球や多彩な変化球を操る高校球児が増える今、思うことがある》